2012,3,31
4月11日 ガイド依頼が入っています。写真クラブからです。
「里山の風景」をとりたい、が不案内なものが闇雲に歩いても無駄足になる、ついては、里山らしいところを案内してほしいということです。だからここを案内した、ここでこんな写真を撮らせてあげようと思うと説明できるようなシナリオを準備しろということでもあります。
それにしても、里山らしいところを、とはなんともありがたい注文です!腕が鳴ります!どっかも縮みます!では、里山とはどういうところだ、棚田って何だというところて、棚田、里山にこだわって全国を巡っている人は、そこのところをどう考えてらっしゃるのでしょうか。
まず、日本の棚田百選を歩いての写真集『棚田を歩けば』(福音館書店)で文・写真をものにしてらっしゃる青柳健二さん、この近辺では、袖志の稲木、舞鶴の田んぼに行く夫婦の耕運機などの写真を載せておいでますが、彼は、「棚田には、・・・・たくさんの生き物がいます。ゆったりとした時間が流れています。何千年にもわたる人々の工夫と努力があります。棚田に行くと、君は、・・・・美しい風景を目の前にします。お米の育つ姿に出会えます。そして何より、元気になります。」と語っています。
棚田に行くと、君は、・・・・美しい風景を目の前にします、といわれても、何を持って美しいというのかわからない、そこで、もう一つ、
「棚田の美しさというのは、突き詰めていくと、人間が生きていくために自然から許される範囲で、必要最小限の手を加えた、その美しさではないかと・・・・・。ただ単純に“きれい”というのとは、ちょっと違う美しさだと思っています。」と。この定義は納得できます。
また、nhk里山シリーズのナレーションでは、
「里山は命の鼓動にふれその尊さを知ることのできる場所」、
「里山は人々の温かな心が命を育む空間」
「自然と生きる知恵が溶けこんでいる里山の風景」とも。
その番組のレギュラー出演者、里山の美を世に出された今森光彦さん。彼は、『里山のことば』(世界文化社)の「田植え時」の項で、こう述べておられます。
「あでやかな田んぼの曲線は人が作り出した、芸術品と言えるだろう。泥を緑に塗っていく畔つくりは、水漏れがしないようになされるもので精魂が込められてた仕事になる。その結果として、緑色の畔に土色の美しい線が出来上がり、田んぼは見事に浮き上がって見える。人の汗が、ほかでは決して見ることができない秀麗な風景を作っていく。」
先達の方々は、このように言われます。田んぼの畔、その曲線が美なんだ、芸術品なんだ、そういわれれば私たちなりにも思うところが浮かんできます。
そういうところを結ぶコースをセッティングさせてもらおうと思っています。お客さんに、「人間が生きていくために自然から許される範囲で、必要最小限の手を加えた、その美しさ」が見えるメガネをかけてあげたいですね。
時間は約90分、皆さんならどんなコースを作られますか。ちなみに今回のゴールは、合力の家。世屋持ち寄りマーケットも準備していただきます。
□春の天候は、晴れる曇る雨晴れるを四日の周期で繰り返します。とは言っても、明日から四月というのに雪起しとは、違和感ありすぎです。世屋では、霙交じりの雪でした。