宮津エコツアー · 6月 2019

6月 2019

空の青さが透き通る羽の持ち主、

img061.jpgチョウ

飛翔するチョウ写真撮影の第一人者、西村さんから、いただいた作品展の案内には、

「世屋高原では、皆様のおかげで令和新年もウスバアゲハが元気に舞っており、楽しませていただきました。丹後のチョウたちに今後もよろしくおねがいいたします。」、こんなコメントが、、、。

北方系のこのチョウは日本南西部では生育地が限られており、里山の草地の特定の草を食草とすること、など、ある生物を巡る見せるがわと見るがわとの関係、エコツーリズムの本質、神髄、実際、、わかる方にはわかるんだぁと、しみじみと読んだことです。

さて、この写真のチョウは「ウスバシロチョウ」と呼ばれていましたが、研究の結果、アゲハ系とわかったので、現在では、ウスバアゲハと呼ばれているということです。

 

① ある山野草

 

IMG_7584

この名前、この人物から頂いています!

yjimage[1]

また、旧日本軍の戦闘機の名前にも使われました。

yjimage[5]

、、、そうです、この植物名は、「ショウキ鍾馗ラン」

IMG_7588

鍾馗様については、「中国の民間伝承に伝わる道教系の。日本では、疱瘡除けや学業成就に効があるとされ、端午節句に絵や人形を奉納したりする。また、鍾馗の図像は魔よけの効験があるとされ、屏風掛け軸として飾ったり、屋根の上に鍾馗の像を載せたりする。鍾馗の図像は必ず長いを蓄え、中国の官人の衣装を着て剣を持ち、大きな眼で何かを睨みつけている姿である。」とウィクペディァ。
その被り物の形にちなんで、しょうきらんと命名。
さらに、
「ある時、唐の6代皇帝玄宗が瘧(おこり、マラリア)にかかり床に伏せた。
玄宗は高熱のなかで夢を見る。宮廷内で小鬼が悪戯をしてまわるが、どこからともなく大鬼が現れて、小鬼を難なく捕らえて食べてしまう。玄宗が大鬼に正体を尋ねると、「自分は終南県出身の鍾馗。武徳年間(618年-626年)に官吏になるため科挙を受験したが落第し、そのことを恥じて宮中で自殺した。だが高祖皇帝は自分を手厚く葬ってくれたので、その恩に報いるためにやってきた」と告げた。
夢から覚めた玄宗は、病気が治っていることに気付く。感じ入った玄宗は著名な画家の呉道玄に命じ、鍾馗の絵姿を描かせた。その絵は、玄宗が夢で見たそのままの姿だった。」
というエピソードも。こちらのエピソードが、戦闘機にふさわしいとされたのでしょう。
さて、このショウキラン
「温帯性落葉樹林の林床にはえる腐生植物。大きい地下茎があって菌と共生し、花茎と花だけを地上部に出す。茎は高さ15~30cm、淡紅色を帯びる。緑色の葉はない。花は数個、長い柄があってまばらに付き、淡紅色。」というものですが、
京都府では「生育地や個体数が非常に少ない。」ので、絶滅危惧種。 
近畿レッドデータブックカテゴリーでも、準絶滅危惧種。

そして、この植物の生育には温帯性落葉樹林が必要なのだが、

「府内には極相に近い温帯性落葉樹林が北部地域と中部地域にわずかに残っているだけなので、これらの温帯性落葉樹林は大切に保全すべきである。」と光田先生、村田源先生。

 

「土岐氏は美濃守護として勢力をもち、揖斐・明智・石谷・本庄・鷲巣・船木・池田・浅野・植村などの庶族を分出し、いずれも桔梗紋を用いている。土岐宗家は戦国時代に、京都から流れてきた斎藤道三によって滅ぼされたことはよく知られている。
土岐氏の一族では明智氏が知られ、明智光秀は宗家没落後、諸国を武者修行して歩き、尾張の織田信長に仕えたことから異例の出世をした。」とウィクペディァ。

IMG_7568

うむ、そうか!

「植物としての桔梗は秋の七草のひとつとして、朝顔の名で呼ばれているものである。朝顔とは古代の呼称で、別名オカトトキとも呼ばれた。これは「岡に咲く神草」の意で、このトトキの咲くところから土岐の地名が生まれた。土岐氏が桔梗を家紋に用いるのは、氏を表わしたものに他ならない。 『見聞諸家紋』をみると、土岐氏の紋として桔梗が記され、注して「先陣で桔梗の花を胄にさし、敵を大いに打ち破った」と出ているところから、戦勝的な意味合いも含まれていたようだ。」

なるほど!

「秋の花のイメージが強いが、実際の開花時期は六月中旬の梅雨頃から始まり、夏を通じて初秋の九月頃までである。つぼみの状態では花びら同士が風船のようにぴたりとつながっている。そのため “balloon flower” という英名を持つ。」

ぴ、こ、、ぴこ゜ーん!

「つぼみが徐々に緑から青紫にかわり裂けて星型の花を咲かせる 。花の形から「桔梗紋」が生まれた。」

さて、麒麟を迎えます、

「安倍晴明が使用した五芒星を桔梗印と呼び、現在の晴明神社では神紋とされている。」

このネタ、もらっていいかなぁ

、、、、、

美土野賛歌 ~「麒麟を迎える」~

美土野の道は幾曲がり
けれど
光秀 ガラシャは一筋に
命を 天(そら)に
二人 戦世 生き抜いた
美土野の夜空の二つ星
あれは
光秀 ガラシャの命星
耳を澄ませば
ギヤマングラスの音がする
美土野の草原 二つ華
あれは
光秀 ガラシャの二人花
キキョウと山ユリ
ゆらして山を 風走る

キキョウと山ユリ
ゆらして山を 風走る

 コブラ草!です。

IMG_7455

「え?」

ほら、へびつかいの笛に合わせてゆらゆら踊るコブラににているでしょ!

『うそですよ、海の波、盛り上がっては崩れる波に似ているので、立浪、たつなみそう』

まむしぐさってのもあるから、こぶら草というのがあってもいいわねぇ、、、

、、、、ガイドの現場ではこんなことになるのでしょう。

さて、立浪草です、

タツナミソウ、 コバノタツナミ、 ホクリクタツナミソウ、 ヤマジノタツナミソウ、 シソバタツナミ、 トウゴクシソバタツナミ、 ホナガタツナミソウ、オカタツナミソウ、 イガタツナミ、 デワノタツナミソウ、、、、これだけ種類があるとブログ『Satoyama, Plants & Nature』のページ「タツナミソウの迷宮」。

IMG_7456

その違いは、たとえば、

■ホクリクタツナミソウ

葉は数対あってまばらにつき、卵心形~3角状卵形、両面ともに軟毛が多く、葉先は丸みを帯び、長さ2~2.5cm、幅1.5~2.5cm。
葉縁の鋸歯は浅く、その先は丸く、葉身基部は浅い心形~切形、葉裏には腺点がある。

■ヤマタツナミソウは花冠筒部の基部から斜上し、葉身の鋸歯が丸みを帯びず狭い3角状となり、茎の毛は上向き。
■変種のエゾタツナミソウは葉が薄く、ほとんど無毛で、本州近畿地方以北、北海道に分布する。

分類判断のポイントは、葉の形状や毛の有無などのようですが、そんな微細なところで判断されるのはやはり専門家です。それでも悩ませる実情があるようで、「迷宮」と言われ正直さがおもしろいですね。

で、これは?

IMG_7538

「葉は卵心形~3角状卵形、葉先は丸みを帯び、葉縁の鋸歯は浅く、その先は丸く、、、」「花の立ち上がり方もまっすぐですし、」

見た感じでは、ホクリクタツナミソウですかねぇ!

「主峰をなす東壁の絶顛は、孤高を誇るかのように、北天の空に巍然と屹立し、奈落の谷底に墜ち込むような、妥協を許さない孤影がたまらなく私を惹きつける。」

img057

これは、澤潔さんの名著「丹後の地名語源の研究」でのいちがおの山容表現。澤さんは、「絶え間なく汗を流して歩くという無償の営為こそ、山旅の究極」とも。一度は登りたい山関西百名山、いちがおが、六月の里山ぐらんでぃんぐっコースです。

IMG_7537

それにしても、この切り立つ山は、人には優しくありません。 「むかしむかし、吉永のお寺で盆踊りがありました。その時、一度も見たこともない若い男の人がいました。みんな不思議に思いましたが、だれも、どこの人か、知っている人は、一人もいませんでした。次の日も、盆踊りにその男の人が来ました。村の人たちは、その男の後ろからついてどこへ蛙か調べてみることになりました。細い山道をどんどん登って、依遅ヶ尾の近くまでくると、大きながまが谷というところに、堤がありました。男は、その大きな堤に、とびこみました。すると、みるみるうちに、大きなへびになってしまいました。姿を見られたへびは怒って、次の朝、大雨を降らせました。堤の堤防が壊れて、依遅ヶ尾から、多くの土砂が吉永の村に流れ込み、村はうずまってしまいました、、、」 この怒ったへびの起こした土砂崩れは、「依遅ヶ尾には大蛇が住む」という話に繋がって、そのおろちが麓のお宮の巫女に惚れ、炭のような真っ黒い雲にのって会いに来る、それが210日ごろだという話になっていくという話も伝わっています。※「丹後町の民話」丹後町教育研究会

無題

この山は、大陸プレートと太平洋プレートとの関係で、2000万年前から始まり約1000万年も続いた活発な火山活動の時期を違えた噴出が合体した形なのだそうです。 さて、「いちがお」、その「いち」については、「い」も「ち」も、古語では神聖を意味する言葉であるという切り口から諸説あり、澤潔氏の丹後地名の旅中をご覧ください。地形的にみれば、「ち」はあちこちの方向、方角を指す「ち」ランドマークとしての優秀さを取れば「位置ヶ尾」、あるいは、山塊にあるいくつもの尾のうちもっともたかい尾を「一ヶ尾」と呼んでいた、それが山塊全体の呼称となったと考えられるかもしれません。

IMG_7505

道にはウツボ草、けんぼナシ、マタタビの花が見られます。オーガニックライフクラブまでお申し込みください。

img056

7月1日、発刊、有料、2000部制作予定で準備を進めています。

3月に制作した「増補版」に、巨樹調査の最新データを加えた改訂版となります。

初版で900部、増補版で300部、制作して頂きました。しかし、いずれも「豊かな森をつくる府民税」を活用しての制作のため、無料ではありましたが、関係者優先の配布のため、広く普及を図ることは出来ませんでした。

今回は、ISBNコードも取得し書籍JANコード(2段型バーコード)をつけて、一般書店でもお求め頂けるものとなります。

「海の京都展望ライン」と銘打っていますので、「海の京都DMO」様の応援も頂戴できました。

発行は、発行委員会あらため「丹後半島エコミュージアムサービス」としました。

この自然ガイドブックを介して、都市と地方、人と自然、人と人の結びつきが生まれることを願っています。

ご希望の方は、下記へご連絡ください。

: 629-2523 京丹後市大宮 町三坂141-1 (株) プラジナー 内

「丹後半島エコミュージアムサービス」

電話0772-68-0188

「木は

愛そのものだ」

とは、田村隆一さんの詩『木』の一節。

KIMG0302

(上 長江のアカガシ 発見・撮影 多々納智氏)

さらに「正義そのものだ」とも。

「愛」とか「正義」という超抽象的な概念を描き、その本質を語るのは容易なことではないじゃないですか!田村氏は「木」という超具体的な言葉と組み合わせれば、それが出来るのではないかと考えられたのかもしれません。

次のような詩です。

木        田村 隆一

木は黙っているから好きだ

木は歩いたり走ったりしないから好きだ

ほんとうにそうか

ほんとうにそうなのか

見る人が見たら

木は囁いているのだ ゆったりと静かな声で

木は歩いているのだ 空に向かって

木は稲妻のごとく走っているのだ 地の下へ

木はたしかにわめかないが

木は

愛そのものだ それでなかったら小鳥が飛んできて

枝にとまるはずがない

正義そのものだ それでなかったら地下水を根から吸いあげて

空にかえすはずがない

若木

老樹

ひとつとして同じ木がない

ひとつとして同じ星の光のなかで

目ざめている木はない

ぼくはきみのことが大好きだ

、、、、、、、、、、、、、、、

この詩は、東京書籍版「新しい国語2」に掲載されています。愛とは何か、正義とはなにか、生き方と絡めて考え始める時期の子どもにぜひ読ませたいと選りすぐられた作品です。

IMG_7348

それでなかったら地下水を根から吸いあげて

空にかえすはずがない

、、、、、そうかぁ、それが正義というものかぁ

それでなかったら小鳥が飛んできて

枝にとまるはずがない

、、、、、、、、そうかあ、それが愛というものかぁ!

、、、、、、、、、

木がしていること、もっともっとあげてみよう、、、それが愛なんだよ、それが正義なんだよ、、、、

「それでなかったら・・・・はずがない」

ここに田村さんの仕掛けがあるようです。

その仕掛けを生かして、先生と生徒たちはこの詩をどう学ばれるのでしょうか、教室を覗いて見たくなりました。

IMG_3997

さて、二日は、「木に託す もり・まち・人の あす・未来」というテーマで

催された第七十回全国植樹祭(会場・「愛知県森林公園」)。そこで新令和天皇が述べられたお言葉。

、、、、、

我が国は、国土面積の三分の二を森林が占める世界有数の森林国です。健全な森林は、木材を始めとする林産物の供給のみならず、清らかな水、豊かな実りをもたらす大地や海を育み、さらには地球温暖化防止や生物多様性保全にも大切な役割を果たすなど、私たちに様々な恩恵をもたらしてくれる国民共通の財産といえます。
こうした、森林のかけがえのなさを思うとき、その保全はもちろんのこと、森林を伐採して利用することに伴い、再び苗木を植えて育てることを通じ、健全な森を次世代のために造っていくことは、私たちに課せられた大切な使命であると考えます。

全国から参加された皆さんと御一緒に植樹を行うことを喜ばしく思います。
今、こうして、初めて全国植樹祭に臨み、国土緑化の中心的行事として、七十年にわたり開催されてきた歴史の重みと、国土緑化に長い年月を掛けてこられた先人の努力に思いを馳(は)せ、感慨を覚えます。

ここ愛知県においては、林業の活性化や都市部における木材の利用、さらには、山から街まで緑豊かな愛知の実現に向けた、森と緑づくりを進める取組がなされていると聞き、うれしく思います。
そして、本日表彰を受けられる方々を始め、日頃から各地域において森林や緑づくりに尽力されている全国の皆さんに敬意を表し、そうした活動が、多くの人々によって支えられ、更に発展していくことを期待します。
この度の大会テーマである「木に託す もり・まち・人の あす・未来」にふさわしく、木材の利用や健全な森林づくりの輪が、ここ愛知の地から全国へ、そして未来に向けて大きく広がっていくことを願い、私の挨拶といたします。

、、、、、、、、、、、

IMG_1027

天皇制と木は似ているのかもしれません。

木は

愛そのものだ

正義そのものだ

、、、、、、、、、、