「上世屋のお観音さんは、ようねぎゃあごとを聞いておくれる値打ちのあるお観音さんだわなあ。」とおためさん。
その①
お母さんがゆうとくれたことだけど、日露戦争のときりに、ここの人がいっとんなって、帰ってからの話しに、向かいの山の敵を攻めんなんだが、なんにも隠れるものがのうて、丸見えで弱っただ。それで、上世屋のお観音さんに頼んだら、ぼた雪をグラグラふらしとくれて、敵からみえんようにしとくれて、向こうまでいくことが出来た。その時は、日本は神さんの国だと思ったゆうてなあ。
その②
それから、お観音さんに、雨おくれいうて頼んだら、おくれた、雨乞いの時は、朝はお宮さん、午後は観音さんでお千度をあげたんだ。お千度ゆうのは、竹を割って、盆踊りみたいに輪になって中にコモをしいて、その上に年寄りがおって、そこへ竹を10本ずつ千本になるまで投げるんだ。それを年寄りが数えとって千本になったら、「ほい、もうええど」ゆうておしえただ。それでもあかんときは、太鼓をもって上がって、それを雷のかわりに、また火をたいて稲光の代わりにし、青年が滝の上へあがって、そこに木で堰をつくって、はだかになって水を村中にほくっただ。その間おっさんは観音経を読み上げとるだ、。最後に、その堰をどおっとながしただ。そうしたら、じきに黒雲がわいてきて雨がふったもんだで。そんなことを観音さんは、重宝に不思議にようきいとくれたもんだ。
そんなふうに里山暮らしの精神生活を支えた観音さんも、最近は過疎、高齢で、参道の整備もままならない事態。
おまけにご本尊の盗難という不届きな被害。
しかし、そこに心痛めたのは「よそもの・若者・××もの」。
竹和火でライトアップして世屋観音様の千日参りを(^.^)。
わしも一筆!
うちは野菜を、わたしはスイカを!
わたしは、献灯で。
そして、当夜。
善男善女の足下を照らす明かり。
ようまいとっくれましたなあと総代さん。
松尾の仏師丸橋さんの聖観音様も、特別展示。
確かにハスの花をお持ちでした。
普段お参りすることの出来ない分、今日の千日参りでこらえてもらえた、最期の時はあのようなお姿で現れて極楽へお連れくださるのだ、大丈夫、安心して気張ろう!
連れもって戻られるお婆ちゃんたち一団の足取りが、心なしかしっかりしていました。