土手焼きと言いました。
明田たんぼの畦焼きです。何しろたんぼは広くて畦も相当の長さになります。営農関係者の皆さん総出の仕事です。
さて、 「僕が小学生の頃は、親公認で火遊びができるので面白がって土手焼きを手伝っていました。そして今日、土手焼きをするのは10年以上ぶりだったので少年の頃に帰ったようでとても楽しみながらやりました。」とおっしゃるのは信州安曇野のお百姓の「たく」さん。
※ www.matsuaz.com/azunoo/2007/02/21/1172069966375.html –
「火の用心」、拍子木を叩いて村を回るのは子どもの仕事でした。地震雷火事親父、、、火は怖い物のベスト4でした。火遊びは厳禁!
そんな時代、土手焼きは火と向き合える唯一と言っていいチャンスだったとたくさんはおっしゃっているのでしょう。
危ないことなのでどうしたら火はコントロールできるか、どう逃げるか等子どもながらに神経を集中させて考えます。
ワクチンの予防接種のような小さな危険体験を「土手焼き」を通してしていたのです。
今の時代の土手焼きにはそんな子どもがおりません。
古き世の 火色ぞ動く 野焼きかな 蛇笏
その中の 野火の一つの はげしさよ 汀女
野焼火の おしのぼりゆく 堤かな 爽雨
水辺草 ほのぼのもゆる 野焼かな 蛇笏
以上野焼 – Biglobeさん より ※www5c.biglobe.ne.jp/~n32e131/haru/noyaki.html