宮津エコツアー · 落葉こそが始まり

落葉こそが始まり

2012/12/02

花は終わり、紅葉の葉は落ち、光りの乏しい田んぼや雑木林もなにやら寂しい風情。

こんな時期に、里山に密着して命を写してきた今森光彦さんはどこを見て何を撮られるのだろうと、シンポジウムの発言を読んでみました。

その中で、「雑木林の持つ生理を知らないと自然の本質を伝えたことにならない」(『森を創る 森を語る』稲本正 編 岩波書店)とおっしゃっていました。なるほど、12月には12月の雑木林の生理がある!と言うことなんだ、すこし納得しました。


でも、もどかしいことに12月の雑木林の生理の本質はなにか、どうも言葉になりません。そんなときに、目から鱗の天声人語。
「  ▼ 略 木枯らしに急かれるように、木々はいま落葉がしきりだ。風に散って歩道を這う光景には落剥のイメージが重なる。しかし、よく見ると、裸になったコブシなどビロードに包まれたような花芽をおびただしく光らせている。

▼秋の落葉こそが「始まり」だとチェコの国民的な作家チャペックが書いていた。かんしゃく玉のような小さな新しい芽が、枝というえだにぎっしりばらまかれていて、明くる年、それらのはぜる爆音とともに春がおどり出るのだと。▼「自然が休養する、とわたしたちはいう。そのじつ、自然は死にもの狂いで突貫しているのだ」(『園芸家12ヶ月』中央文庫)。枯れて黙したような身の内に、木々は深く春を抱くのである」
うーむ!、、、、死にもの狂いで突貫している自然、、


、、、深く春を抱く草木!
そおかー!、、、今森さんも、こんな眼で里山ウオッチされていたのかー!。
ところで、Mさん、いつにします?納めのブナ林トレッキング。

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