6月は紫色のファンファーレ。
各田んぼに勢揃いした命たち
いっせいにスタート、
大切なのは毎日まいにちの対話
ゴールは秋。
「むりにならんようにきばりまひょうで」
丘の上から、紫色のメッセージ
「ひいながさいたら粟を蒔け!」
ひいなとは、タニウツギのことです。
では、なぜ、タニウツギのことを「ひいな」と呼ぶのか、
「上世屋ではひいながさいたら粟を蒔けと「ひいな」、弥栄町舟木では「ひいなご」とよんでいることについては、調査が及んでいないようです。その解釈のポイントは「な」なんでしょう、つまりおひたし、和え物、みそ汁、ご飯に混ぜるなど食用にしたということです。りょうぶも「な」を含む方言がある、「ギョーブナ(静岡・愛知・熊野・奈良)、ジョーブナ(三重・奈良・和歌山)、サダメシ(青森・岩手・宮城・秋田。サルナメシの転訛か)がそれで、このナは食糧となる『菜』を意味する。」と和泉光一さんがおっしゃっています。」、、、こんなくるしまぎれのあてずっぽうをかってしておりました。
違いますよ ひいなとはひな、雛のことと 国語辞典編集者の 神永暁さん。
以下のように解いてくださいました。
「雛(ひな、ひいな)」とは、もともと小さくて可愛らしいものを表す言葉。 平安時代の「ひいな遊び」に使われたのは、紙や布で作られた素朴な人形だったと考えられています。 やがて時代がすすむにつれ「ひいな遊び」の人形は華麗で立派なものになり、飾って楽しむものへと変化していきます。
、「雛」は古くは「ひいな(歴史的仮名遣いは「ひひな」)」と言うこともあった。ただし「ひな」も「ひいな」も今とは違い、ひな祭りに飾る人形のことではなく、女の子が玩具にする、紙や土、木などで作った小型の人形のことを言っていた。
「ひな」と「ひいな」ではどちらが古い言い方なのかよくわからないのだが、『日本国語大辞典 第2版』を見ると、平安時代の用例は「ひいな」の方が圧倒的に多い。
たとえば『源氏物語』には、幼い紫の上の姿が可憐に描かれた以下のような場面がある。
「ひゐななど、わざと屋ども造りつづけて、もろともに遊びつつ」(『源氏物語』若紫)
「屋」というのは人形の家屋のこと。人形遊びをしている紫の上と「もろともに遊」んでいるのはほほえましいことに光源氏である。

平安時代には、人形に着物を着せたり、いろいろな調度を整えたり飾ったりする女の子の遊びを「ひいな遊び」と呼んでいた。
『枕草子』の「すぎにしかた恋しきもの」の段にも、「枯れたる葵。ひひなあそびの調度(=道具)」とある。
これらの用例からもおわかりのように、平安時代には貴族の子女にとって「ひいな遊び」とはふだんの遊びであり、もともとは3月の節句と直接の関係はなかったのである。
ひいながさいたら粟を蒔けというのは、上世屋の方言ではなく、平安時代の雅ことばだったのです。
海と山と空と人とを結び 咲き続ける一本のサクラ、
生きている意味、生かされている幸せをも語りあえる生まじめさ
松尾一本さくらの魅力は、尽きることがありません。
それにつけてもそれは平和あってのこと、
この視線のかなたにおきているミサイルが打ち込まれ人権が犯されている事態
戦争はエコロジーの最大の敵、
庶民民衆の生業をみまもり、はげましつづけてこその国の指導者
「みごとちりましょ 国のため」
神はそんなことを強いる権利を、だれにもあたえていませんよ。
学校が爆撃されていいる、
ほんとうにとんでもない非道きわまりないありえない事態です。
世界の先生、声をに一つnいにしましょう
、、、、、
あゝをとうとよ、君を泣く、
君死にたまふことなかれ、
末に生れし君なれば
親のなさけはまさりしも、
親は刃(やいば)をにぎらせて
人を殺せとをしへしや、
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや。
堺(さかひ)の街のあきびとの
舊家(きうか)をほこるあるじにて
親の名を繼ぐ君なれば、
君死にたまふことなかれ、
旅順の城はほろぶとも、
ほろびずとても、何事ぞ、
君は知らじな、あきびとの
家のおきてに無かりけり。
君死にたまふことなかれ、
すめらみことは、戰ひに
おほみづからは出でまさね、
かたみに人の血を流し、
獸(けもの)の道に死ねよとは、
死ぬるを人のほまれとは、
大みこゝろの深ければ
もとよりいかで思(おぼ)されむ。
あゝをとうとよ、戰ひに
君死にたまふことなかれ、
すぎにし秋を父ぎみに
おくれたまへる母ぎみは、
なげきの中に、いたましく
わが子を召され、家を守(も)り、
安(やす)しと聞ける大御代も
母のしら髮はまさりぬる。
暖簾(のれん)のかげに伏して泣く
あえかにわかき新妻(にひづま)を、
君わするるや、思へるや、
十月(とつき)も添はでわかれたる
少女ごころを思ひみよ、
この世ひとりの君ならで
あゝまた誰をたのむべき、
君死にたまふことなかれ
君死にたまふことなかれ
旅順口包圍軍の中に在る弟を歎きて
與 謝 野 晶 子
、、、、、、、、、、、
すぐに、
すぐにすぐにやめてください、やめさせてください
2022.4.14
宮津世屋エコツーリズムガイドの会
丹後半島エコミュージアムサービス
「つなぐ棚田遺産」に新たに271カ所 農水省、百選を改定
~宮津市 上世屋・松尾の棚田も~
農林水産省は15日、1999年に認定した「日本の棚田百選」(134カ所)を改定し、「つなぐ棚田遺産」として新たに271カ所を選定した。20年以上前に決まった百選の棚田には、担い手不足などから荒廃している箇所も少なくなく、改めて次代に残したい棚田を選んだ。「新百選」のうち前回に続いての選出は、約35%の94カ所にとどまった。
棚田とは、山の斜面などに階段状に作られた水田のこと。平地より維持・管理が大変な一方、昼夜の温度差が大きくて稲がゆっくり熟すため、上質米ができるとされる。山からの水を蓄えて洪水を防ぐ役割や、「日本の原風景」と呼ばれる景観の美しさなど、多面的な機能も持つ。国は2019年に棚田地域振興法を施行し、棚田周辺の地域振興を後押ししている。
21年11~12月に各都道府県が274カ所を推薦。有識者でつくる選定委員会が、棚田を含む地域の振興にさまざまな人が参加していることなどを基準に、14日の会合で選定した。
世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産からほど近い長崎県平戸市の「春日の棚田」など、有名どころも今回初めて選ばれた。前回百選の134カ所は応募自体が95カ所にとどまった一方、前回百選外からは179カ所の応募があり、新旧の入れ替わりが目立った。

初選出棚田の一つ、岩手県一関市の「金山棚田」は、所有者が高齢化して耕作を断念していたが、櫻井陽さん(29)ら地域の若者有志が共同耕作者となり、復活に力を注いできた。田植えの時期には、市内外の子どもたちを集める。「選定は本当にうれしい。地域内外での見られ方も変わってくると思うので、気を引き締めつつ『農を楽しむ』ことも伝えたい」と喜んだ。前回に続いて選定委員を務めた「棚田ネットワーク」代表の中島峰広さん(88)は「選ばれた各地からは、弾みがつくと期待する声が聞かれる。次の世代に棚田を残していくきっかけになれば」と話した。
選定された棚田は、3月25日に農相の認定を受ける予定。【野呂賢治】
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「つなぐ棚田遺産」関西エリア一覧
滋賀県大津市 上仰木棚田
仰木 平尾の棚田
栗東市 走井棚田
甲賀市 山女原の棚田
今郷棚田
高島市 鵜川の棚田
畑の棚田
京都府京都市 宕陰 越畑・樒原の棚田
福知山市 毛原の棚田
宮津市 上世屋・松尾の棚田
京丹後市 袖志の棚田
大阪府河内長野市 惣代の棚田
能勢町 長谷の棚田
河南町 平石の棚田
持尾の棚田
千早赤阪村 下赤阪の棚田
兵庫県養父市 宮垣の棚田
能座の棚田
別宮の棚田
宍粟市 山田の棚田
飯見の棚田
多可町 岩座神の棚田
香美町 うへ山
奈良県葛城市 葛城山麓地域の棚田
明日香村 稲渕棚田
和歌山県橋本市 芋谷の棚田
紀美野町 中田の棚田
有田川町 久野原の棚田
杉野原の棚田
上湯・あらぎ島
沼の棚田・段々畑
沼谷「天空の棚田」
那智勝浦町 色川の棚田群