京大阪江戸、、、商業大都市の暮らしに要した大量のシバと炭を供給したのは近郊の山間部は言うに及ばず、四国は高知の山間の村にも及んでいたと資料や絵図を示しながら話してくださったのは、キノコ観察会での佐久間先生。
丹後半島山間部の高地里山集落の案内をしていると、消えた村跡をまえに、どうしてこんな不便なところに村が拓かれたのかと問う人も多くなっていますが、山に住み着く必然性は、確かにあったのです。
しかし木子にも世屋にも、往時をしのぶ記録資料がほとんど残っていません、大火にあったからです。それが隣村、野間には残されていて、しかもカレンダーに生かされているのを見ました。
昭和10年代の味土野、昭和32年の吉野など、いずれもたたずまいの整った大村であることを今に伝えてくれています。歴史文化の解説を付けて、野間公民館文化教養部の皆さんの手によって作られています。
世屋村とは婿入り嫁入りの血縁関係でつながった野間村の貴重な記録です。
ガラシャ夫人が隠棲された味土野高原は高山山頂から見える金剛童子山中腹にあります。
ここで村の古写真を示すことができれば、どのようなところですごされたか具体的にしのぶことができます。
お問い合わせは野間基幹集落センター(℡0772-66-0002)まで。一部500円、ただし2012年は残り一ヶ月。そのつもりでお求めください(^.^)。