宮津エコツアー · 「世界にたったひとつ だあれも知らない わたしたちのフィルム・ライブラリイ」 

「世界にたったひとつ だあれも知らない わたしたちのフィルム・ライブラリイ」 

2012/12/26
カメラやスケッチブックを携え世屋の里を訪れていただく皆さんを迎えることが増えました。

自分自身も一年をふりかえると、カラスの鳴かない日があっても、人や景観や生き物に、カメラを離せなくなりつつあります!

そんなことですから、、、、
茨木のり子さんの「私のカメラ」という詩が気になっています。
こんな詩です。


それはレンズ
まばたき
それは わたしの シャッター
髪でかこまれた
小さな 小さな 暗室もあって
だから わたし
カメラなんかぶらさげない
ごぞんじ? わたしのなかに
あなたのフィルムが沢山しまってあるのを
~略~

「わたし カメラなんかぶらさげない」、、、、カメラ無用と彼女はいっています。 なまじっか機材としてのカメラがあるものだから、感じる前に撮る、撮ってしまったらおしまい!撮った写真へのこだわりなどお構いなし、そんなところが、わたしたちにはあるじゃないですか!そこがこの詩に揺さぶられる一つ目のところです。
しかし、ここが大事なところですが、茨木さんは、瞬間をとらえ、永遠の命を持たせる、そんな写真の意義を否定されているわけではないのです。
「私のカメラ」の後半部分、

木洩れ陽のしたで笑うあなた
波を切る栗色の眩しいからだ
煙草に火をつける 子供のように眠る
蘭の花のように匂う 森ではライオンになったっけ

世界にたったひとつ だあれも知らない
わたしのフィルム・ライブラリイ

、、、、、「わたしのフィルム・ライブラリイ」ここが、二つ目の心を揺さぶられるところです。茨木さんの言葉を借りれば
「世界にたったひとつ だあれも知らない
宮津のフィルム・ライブラリイ」
を作ることのできるのは、私たち。


そんなわけです、Mさん、カメラぶらさげて、世屋・高山のフィールドを歩き回って、
「世界にたったひとつ だあれも知らない
わたしたちのフィルム・ライブラリイ」
つくっていきましょうよ(^.^)。

 

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