世屋の里の朝。
ここの小字は「のうだ」。
上世屋の一等田、里山再生の拠点です。
目を閉じてみてください
(^.^)フェードアウト! 、、耳を澄ませば、たんぼの語りがきこえてくるはず、、、
◇ 自然の猛威と山幸彦 ~2000年前のある出来事~ 衝立のような山の向こうに「あるもの」があります、 籠神社そして、「天橋立」! ※渡来系 天皇家より古い系図 800年代末に成立 この神社が伝える天橋立砂嘴形成の伝承
元は天への架け橋 縦 落ちた そのため横になった 少しずつではなくある日あるとき一気に!天変地異 大地震 大雨 地滑り 濁流は海を埋めた ・その土砂を供給したのが、ここ! 自然はまた、自らを癒やします!なだらかな斜面が出来た そこに人がやって来た やって来た人は名をつけた!「天へ通じる聖セイなる山ヤマである!」聖山セイヤマ・セヤ 当時、資源調査開発にあたったのは、その当時は僧侶。ここも真応上人 804年と伝えます 以後 山幸彦として山の恵み 用材・燃料・食糧 、、、租庸調兵の供給基地として、歴史を刻むことになった! 70戸以上 +蔵、隠居 の里に発展 知恵と文化を形成し暮らしを維持
◇ 近代文明の猛威と山幸彦 ~燃料革命と農業放棄の戦後立国戦略~
①農業開発 昭和35年 農業基本法 基本農家育成
農地拡大機械化 国営農地開発 松尾田んぼ整備
適地適産 キャベツ ブドウ 牛 豚 →挫折、放置
②観光開発 宮津市 バブル リゾート開発 家族旅行村
グリーンツーリズム 都市と農村の農業体験を通した交流 → 崩壊 破綻 残ったのは鉄の塊や中断道路
③丹後半島山間部の里々ほぼ全壊、「碑や 山幸彦の 夢の跡」
(↑ 藤を織るお婆ちゃんたち 撮影 川北亮司さん 1980年ころ)
④里山空間が残るのは奇跡、 人が残った、たんぼの形が残った、家の形が残った、暮らしの形が残った! 残るも出るも地獄 「窮極」の選択の末、、、、、、、 残った要因
※民主府政 暮らしの防波堤の諸施策
現金収入 男たち 営林署作業班として採用 女たち 西陣帯地織り お婆ちゃんたち 藤織り 柿渋作り 、、、、、
(^.^)フェードイン、、、、 目を開けてください、
穏やかで柔らかな時間が、ゆっくりすぎていくでしょう、、、。
自然の猛威が人の住める環境を創り、人が発展させて世屋の里を造り、社会の暴風が里を壊した!
では、人間は、これから、、、里山のささやきを五感で受け止めながら、里山ウオーク、はじめましょ、