食糧をしっかり準備して冬を迎える、それは里の暮らしの常識でした。
干し柿作りも冬への大切な仕事です。
けれども里の人は、小鳥への心遣いや、来年への期待を込めて全部取り尽くしませんでした。
(↑二枚 大宮町森本にて)
そうして梢に二つか三つ残されている実のことを木守柿(こもりがき)」といいました。冬の季語です。
「どの径を 行つても着くよ 木守柿」 鬼頭桐葉
「木守柿 たちまち深む 山雨かな」 石川 克子
最近は、多くの木がなっても採られないまま鈴なり状態。木守柿の見られる木が少なくなりました。