立派な美しいこの石垣!
感動して、通りがかりの物腰の落ち着いたお年寄りに尋ねました。
「さぞかしこの石垣は由緒のあるものなんでしょう、ちと由来をおきかせねがえんでせうか?」
翁曰く 「このおうちは上からからおりてきなってはじめは天文台のあたりに家を構えなっただだが、そのあたりを「いしごら」、石河原の意味だわな、さらにここへとでてきなって、その時この石垣はくみなったんだが、そういうことでいしごらのいえというとる、
この石垣は穴太衆だなんて職人に頼んだもんだない、自分らで積んだもんなんだ、昔は川の堤防でもたんぼの土手でもみんなよりおうてみんなでやったもんだ、もちろん石はここにゴロゴロ出るのをつかったんだ。」と。そしてこの付近もまた「中河原」と河原がつくのだそうです。
「イカガは石の多いところです。」大陸と地続きの頃は大河の中下流域だったところがそのまま隆起して高山・内山山塊となっていったのを想像したら容易に理解できます。その過程で無数の大小の石が流出してきたのでしょう。 なんでいかがは「五十河」と書くのかというのはずうっと疑問でした。「五十河、五十日は、イカカともイカコとも読まれる、イは接頭語だろうから、カカあるいはカコ系の地名のように思われる。この与謝郡にはよく見られる名で、籠神社、香河、嘉久屋橋など。カカはヘビの古語だろうか、カコもそうだろうが、銅などの金属も意味する。ヘビ信仰を持つ金属集団が開いた地かと思われるのである。」 ※www.geocities.jp/k_saito_site/doc/tango/ktngc/ikaga.html - Kiichi Saito (kiichisaitoh@hotmail.com)と解く方もあります。が、申し訳ないですが、ちんぷんかんぷん(^.^)
けれど、目の前の地の石を用いた美しい石組みを見てふとわかったような気がしました。 ~想像です、~ 「五十鈴」と書いていすずと読みます、五十はたくさんのという意味で、鈴は神を招く神器を意味します。五十の意味は、「たくさん、多くの」であれば、「河」は?河原!あわせて「五十河」石がたくさんゴロゴロしている河原。どうなんでしょう(^.^)
世屋の里の石積みも美しいです。
(上 滝道の石垣)
丹後半島形成の過程で地滑りや土石流がくり返されてそれを人の営々とした営みが農業のできる里山に変えていったという点で、尾根を隔てて隣り合う世屋の里と五十の里は兄弟であることにあらためて思いをいたしました。