年末の町の話題。道の駅「マルシェ」事業をすすめる とM市議会。提案された市長さん、「座して死を待つよりは打って出て活路を開きたい」との決意をもって提案されたと毎日新聞。「座して死を待つよりは!」とは、「抗うことをせずに終わっていく姿勢を拒む表現」との意味。
英語で直訳すると、Than I sit and wait for death。
「座して死を待つよりは!」これはいろんな企業や政治家、あるいはスポーツの指導者、そういう人たちによく用いられて決死感、悲壮感を演出するための常套句で、うっかり乗せられるととんでもないことにもなるのでよく精査しなくてはいけないのですが、代案にも説得力はない、かといって今なぜそこに「道の駅」なのかどうか、間人や加悦の道の駅のように地域に根ざして発展させられるか容易なことではないというのも現実だということ。事態は相当に複雑深刻だということです(´・ω・`)
突然ですが、こういうときこそ、金さんの語りに耳を傾けるといいのではないですか。何しろ、荒廃した6百余村を再建したと言う人です。いい知恵がもらえるかもしれませんよ。
それにしても、直面している壁の厚さ高さ、それは世屋・高山ガイド部会にとっても他人事ではありません。エコツーリズム推進法の法的ミッションに支えられていた活動も、次年度からは、ソーシャルビジネス志向へとシフト変換の正念場。
しかし、何しろエリアとする世屋の里の交通アクセス一つ見ても半島の動脈・縦貫林道は寸断、大型バスは入らない、そうところです。
おまけに、《海の京都》では、宮津の視野の外。
そういう状況の中での「ツーリズム」、それを思えばこっちこそ、「座していれば死があるだけ」の状況(`ヘ´)
けれども、里山エコツーリズムは、現代人にとって光りたり得ることを信じ、まなじり決して臨めば路は自ずと開く!
「美しい優しいまろやかな自然を満喫し、自然保護を考える新しい旅の形」として、エコツアーは登場しました。そこにお客さんを感動させるに足る内容を発見しツーリズムとして受け入れ環境を整備したかということが今後を占う目安になるでしょう、その点では確信に近い自信を持っています。「座して死を待つよりは!」これが来年の宮津流行語大賞になるぐらいに使いまくりたいですね、いずれにしても「念ずれば花開く」(^.^)。