このあたりも海だったのでしょう、
天の橋立の松越しに丹後富士を見ながらの畑仕事です。
これって「あぜのはしだて」じゃないですか(^.^)
ところで天の橋立って6000~3000年頃から形成を始めたんですって。
砂が溜まるためには宮津湾ができて、日本海の海流が半島に沿って湾の奥へと入り込む必要があります。縄文海進といってその頃は海面が今より6mも高かったのだそうです。
へぇー!と言うことは阿蘇海という内海は、今の野田川流域のずうっと奥まで入り込んでいたということなんですね。
狭い水戸口を探し当ててよく登ってくるもんだと話題の野田川鮭も、何のことはない松の頭の上を悠々と行き来していたんです。
さての連発、、、講師の飯田先生の示された一枚。
これにわたしは感動の余り泣きました、
「鮭」は土を豊かにし土に帰る魚なんですって。
土を豊かにし、土に帰る虫ってことなんだ、「蛙」って
心の中では号泣!
人間もそうなんですね「佳」(^.^)
最後の「さて」
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