- 二年生も参観、中学二年生、クラブ活動では、後輩を迎えたお兄さん、先輩はいるけれど、半年後には、中心に。自分の明日に向かって、自分を考え、自分を知り、仲間に磨かれる葛藤の時をすごします。そんな二年生のために、最初の国語学習にはこれを、と置かれたのもやはり詩、ポエム。
「 明日 あす 」 谷川俊太郎 ・・・・ こんな詩です。・・・・・
ひとつの小さな約束があるといい
明日に向かって
ノートの片隅に書きとめた時と所
そこで出会う古い友だちの新しい表情
・・・・・・という連からスタートし、以下
ひとつの小さな予言があるといい
明日を信じて
テレヴィの画面に現れる雲の渦巻き
<曇りのち晴れ>天気予報のつつましい口調
ひとつの小さな願いがあるといい
明日を想って
夜の間に支度する心のときめき
もう耳に聞く風のささやき川のせせらぎ
ひとつの小さな夢があるといい
明日のために
くらやみから湧いてくる未知の力が
私たちをまばゆい朝へ開いてくれる
・・・・・・と続け、そしてクライマックス。
だが明日は明日のままでは
いつまでもひとつの幻
明日は今日になってこそ
生きることができる
・・・・・・最後に
ひとつたしかな今日があるといい
明日に向かって
歩き慣れた細道が地平へと続き
この今日のうちにすでに明日はひそんでいる
・・・・・・と結びます。 谷川俊太郎さんが、 明日というつかめるようでつかめないイメージを、約束・予言・願い・夢・明日・今日この六つの名詞を柱にし、その言葉と 向かう 信じる 想う 湧く 等ダイナミックな動詞を組み合わせ、描きあげた詩です。およそ人の数だけ「明日」はありました。人生の数だけ「明日」はあります。今生きている人の数だけ「明日」はあるでしょう。生きている内容そのものを表す言葉、人間であることの意味そのものを表す言葉はなんだろう、、、、有名無名・古今東西をとわず、、国籍・老若男女も問わず、人間として生きた人達の数限りのない人生を見た詩人の、厳しいフィルターに残った言葉、それが「約束・予言・願い・夢・明日・今日・ 向かう・信じる・ 想う・ 湧く 」等なのでしょう。
生徒の音読を聞きながら、世屋の里のエコツアーガイドとして、わたしも、「ひとつの小さな夢がある」「ひとつの小さな願いがある」とつぶやいていました。ちなみに、この俊太郎さんの息子の賢作さん、ピアニストですが、昨年しおぎり荘へ来られているんですよ。
さて、mさん、sさん、kさん、siさん、今日の京都・嵯峨大覚寺訪問、お疲れ様でした。楽しかったです。三人寄れば文殊の知恵、というのに5人もよったんですよ、なんの智恵にたとえたらいいのでしょうか、ありがとうございました。
さて、御流の華は美しかったです。道の駅「和」に出荷されているセリやフキも美しかったです。いける手、摘む手に明日への夢と願いがあるからでしょう。
「ひとつの小さな夢があるといい
明日のために
くらやみから湧いてくる未知の力が
私たちをまばゆい朝へ開いてくれる」
と、念じながら、生けられたのでしょう、
「ひとつたしかな今日があるといい
明日に向かって
歩き慣れた細道が地平へと続き
この今日のうちにすでに明日はひそんでいる」
と、念じながら、摘まれたのでしょう、
私達にとっても、「たしかな今日」でした、ね mさん!