光が差し込むツリフネソウ。
光が当たるあたらないでは同じものでも、新しい命が吹き込まれたように色目、陰影のメリハリ、濃淡の奥行きなどドレスアップして別物になります。
そんな新しい命を吹き込む光りを発するのは日輪。やはり、お日様は神様です。
さて、宮沢賢治さんの表現の中に「その立派なちぢれた葉のさきからは、 まるでひるの間にいつぱい日光を吸つた金剛石のやうに、露がいつぱいについて赤や緑やきらきら燃えて光つてゐるのでした。」とあります。
「きらきら燃えて光つてゐる、、、」 いま、私たちはそれをカラー写真に撮ることができます。ふと、カラー写真のない時代の賢治さんなら、光りのツリフネソウをどう表現されたのだろうと思いました。そんな目で見るとあちこちに、、、
“イタドリの種は灯りの点いたシャンデリア!のようだね。”
賢治さんの声が聞こえたような気がしました。
秋の語源は、赤し、明かし、色の美しい季節、海山川里空の美しさを昼間はもとより朝に夕に引き立てる光りの一瞬。それを見つけて案内するのがガイドかも知れません。