秘密の丹後 三回目、「丹後の伝承」。
郷土資料館の吉野さんが羽衣、除服、浦島、橋立、大江山、成相噺など丹後の山野海川や寺社が伝える数々の古代伝承を、どうかんがえたらいいのだろうかというテーマでコンパクトに話してくださいました。私たちはどこから来てどこへ行くのか、、、その秘密が少しずつ開いていきます
さて、なんといっても丹後観光は橋立観光圏、橋立伝承は真っ先に取り上げられました。中学生も橋立学習のさい、質問を10項目もってきたということ。わたしも、 橋立伝承についてはかねがね、ご見解を求めたいと思っていることがあります。 こういう疑問です、「橋立、はしだてといいます! 橋はたてるものなのですか?」それにしても、、素朴すぎるので、勇気がありませんでした(^.^)
(↑2014年10月2日)
つまり、こういうことです、、、、、橋は架けるもの、じゃないですか。そうなら、天の架け橋か、天の橋架け、、で、「橋立」はいいそこまちがいなのか!、こんな直接的な疑問はだれしもおもうこと、「橋立や松は月日のこぼれ種、、」と詠んだ芭蕉さんも、「はてはしだて、橋が立つフム」とひっかかられていたのではないでしょうか、 『人おして 回旋橋のひらく時 くろ雲うごく 天橋立』とよまれた与謝野晶子さんも「フム、はしだて」。 『めずらしく 晴れわたりたる 朝なぎの 浦わにうかぶ 天橋立』とよまれた昭和天皇も、「フム、橋立!」腹は立ててはいけません、ねかせておくもの(^.^)腹か゛立つように橋も立つのかどうひねくりまわしても「橋立は橋が立つ、橋を建つ」、、、なにか秘密があるのでしょうか、、、、と。次回の秘密の丹後は「神社」です。ここで尋ねてみようとおもいます。
ちなみに、私は「実際に橋は立っていた」と考えています!言葉に魂が籠もっていた時代の人たちの表現にいいそこ間違いがあるわけがない。川に柱を立てる、橋脚を建てる、その場合は立てるという言い方はします。そのように橋を立てるという事象があって、それが「橋立」になったに違いない!。そして、それは、世屋に直結していることだと、、。