「沫雪の庭に降りしき寒き夜を手枕まかず一人かも寝む」と 大伴家持さん。
大伴旅人さんも
「沫雪のほどろほどろに降りしけば奈良の都し思ほゆるかも」
2人とも、雪を取り上げて歌っていらっしゃいます。沫雪。
ところが、現代語転換して訳す段階で、「淡雪」にされてしまうことがあるようです。
原文: 沫雪 保杼呂保杼呂尓 零敷者 平城京師 所念可聞
作者: 大伴旅人(おおとものたびと)
よみ: 淡雪(あわゆき)の、ほどろほどろに、降りしけば、奈良の都し、思ほゆるかも 、、、、と。
さて、沫雪と淡雪!歌われている心情にも関わります、意味はどうなんだろう。京の雪国でガイドする立場として、ちょっとこだわっておこうとおもいます。
降ったばかりの状態、たくさん積もってはいない状態というところは同じ。違う点は、気温。沫雪は降ったばかりのふわふわした柔らかい新雪、さらにこれから積もるかも知れません。淡雪は降るけれど積もらずに 消える雪、積もっても消えやすい雪。
(↑ 3枚とも世屋の里 撮影日時 2015/01/31 )
家持さんの雪は、寒き夜というように、寒波がきた、さらに積もりそうな感じ。テーマが孤独感ですので、これでよし。一方、旅人さんの雪を「淡雪」とすると、寒さの緩んだ春に近い晩冬の雪。この当時太宰府長官で左遷状態だつた旅人さん、ぼちぼち還してもらえるかなぁといった希望的な気分ととれます。まだまだ呼び戻してはもらえそうにないという状況を詠んだということなら、ここは沫雪にこだわる必要があります。