丹後まで鉄道を!宮津までの期待の開通は大正13年。さて観光客誘致にと作られたのがこれ、「宮津橋立名所図絵」。
(↑ 図説京丹後市の歴史 から 鮮明な画像はそちらをごらんください)
日本海に向かって開かれた中心に宮津が描かれているという鳥瞰図です。端には京都米原名古屋東京へと繋がる鉄道路線が記されています。当時の高揚した思いが伝わってくる図絵です。
さて、ここでおもしろいこと二つ。一つ、世屋山、それが成相山と並んで記入されていること。
二つ、カタカナ表記が二つ、一つはシベリア、これはわかります,もう一つは「スキー」。しかもスキー「場」かとよくよく見ればスキー「地」。
このスキー、日本がオーストリア・ハンガリー帝国軍人レルヒ少佐を招いてスキーを軍隊に導入を図ったのが、1911年(明治44年),新潟長岡でのこと。
最先端の冬季スポーツとしても広け゛たい、そんな中で関西で雪の名所はここ、と指定されたのが世屋高原。 そういう意味では、宮津橋立では スキーっちゅうもんができるぞぉと叫んでいるこの図絵、「スキー地」を宣伝するために作られたと考えてもいいほどの地図です。ちなみに大正13年、鉄道で宮津までついたスキー客は船で日置へ渡り、さらに8キロを歩いて世屋高原へ!でした。それでも、上世屋の三本松にひらかれたスキー場には京阪神から多くの客か゛訪れ民宿も賑わったということ。
また、木子では岳山山頂から村へ向かっての地滑り斜面が子どもたちのスキー遊びの場だったと。昭和40年代、大江山で開かれていた宮津管内中学生スキー大会では、木子の子どもの連戦連勝だったのも当然のこと。
15日にはこのかってのスキー場をスノーシューでウオークします。(^.^)