コウノトリ!
野田川・旧名倉椅川に。
現在日本には計167羽。そのうち飼育しているコウノトリ95羽、野外にいるコウノトリの数72羽。ということですから、ここにいるのは野外72羽のうちの三羽ということになります。ちなみに一旦野生に戻したコウノトリは「野の鳥」として、原則、手を触れないというが兵庫県立コウノトリの郷公園の考え方ということです。このコウノトリたち、まもなく川を下って海へ出るサケの稚魚を待っているのかも!
ところで、倉椅(くらはし)、倉は高床式の倉、椅とは梯子(はしご)、高床式の倉に梯子をたてかけた状態を表すといいます。この倉椅という地名は万葉集第七巻1283 1284に。
橋立 倉椅川 石走者裳 壮子時 我度為 石走者裳
(はしたての倉椅川の石の橋はも男盛りに我が渡りてし石の橋はも)
橋立 倉椅川 河静菅 余苅 笠裳不編 川静菅
(はしたての倉椅川の川の静菅我が刈りて笠にも編まぬ川の静菅)
作者はどちらも「近江の海夕波千鳥汝が鳴けば心もしのにいにしへ思ほゆ」の柿本人麻呂さん。
その柿本さん、斉明天皇6年(660年)頃 から養老4年(720年)頃)に官人として活躍。各地を転々としたすえ、石見国で亡くなったというのが有力。石見国は今の島根県西部。そこへは 「丹波国→丹後国→但馬国→因幡国→伯耆国→出雲国→石見国→隠岐国」と連なる山陰道を辿ります。柿本人麻呂さんが石見国へ赴任するさい、丹後国をとおり、丹後国の国衙を表敬訪問して、その際の歌と想像することも可能ではないでしょうか。
そのときも、橋立の倉椅川には、こうのとりがむれとんて゛いたのでしょう。
はしたて・くらはしがわ・くらはしやま、この三点セット 飛鳥京と与謝の天橋立の二カ所にあるというのは興味深いことです。
もう一つちなみに野田川の野田は、のた、沼といういみだそうです、かっての状況はしのべますが、そのまますぎる、このさいです川の名を、「野田川」というのを「倉椅川」にもどしたほうが、と思います。万葉時代とつながれて丹後建国1300年の趣旨にもそうのじゃないですか(^.^)