「世屋高原の特設見張り所」 の見学と、丹後の太平洋戦争のお話をきく勉強会、地元の方、遠くは京都市内から多くのみなさんの参加をいただきました。
当時のことを現場で見聞された地元の方、さらに、舞鶴工廠でその機材そのものの能力向上の整備に当たられた方たちに参加していただき、その証言によってこの「世屋高原の特設見張り所」か゛ 、小さくても、大きな耳(聴音機)とよく見える目(照空機)で、敵機の襲来を見張り、我が国を守ろうとしたんだとあらためてわかりました。はじめのころ、ここは、双眼鏡をもった兵隊さんたちが、小高い山の尾根に分散して、眼下の海を文字と゛おり「見張って」みはっていらっしゃったのた゛、という認識た゛ったことを思えば(はずかしながらそうなのです)たいへんな収穫です!
(↑ 左寄りの森に見張り所か゛ねむっていた)
たまたま池の縁にモリアオガエルが卵を産み付けていたことか゛きっかけで目覚た遺跡、様子は掘り起こされてあらましわかったわけで、今後は、その保全、保存について、対応の仕方が課題になります。
道は二つ、ここまで!、今後はふたたび自然に森の復活に委ねる、消極的保全というのか、また、今後いつか同じように驚かせるのに期待する、これが一つ。
もう一つは、果たしてそれはどうなのか、遺跡は小さくても、歴史を証言するものの一つであることは間違いない、ことも認識できた、たまたま姿を現したことに意味を見出し、周辺整備、看板設置などを図って今後に渡す道です。
エコツーリズムの立場としては地域の自然文化財と社会文化財との違いはありますが、地域の宝物を生かすことは共通です、二つ目の道を行くこと、これが望ましいのは言うまでもありません。戦争遺跡平和遺産。国の存亡をかけた戦争の歴史を証言するものの一つであることは間違いない。
大きな耳とよく見える目で、命や暮らしや国を脅かす物を見張らねばならないのは今も昔もかわりはありません、なのに現代人たちよ、君たちの聴力や視力はおちているのじゃないか、それを私たちにいうためにこの遺跡が今姿を現してくれたとしたら、それに応えなくてはいけないじゃないですか。
、、、こんなことを思っています。そのためには、土地や構造物の所有者、権利者、管理者、などの特定からはじめなければなりません、またまた、長い道が、、!
天気にめぐまれ、会場のしおぎりそう荘では海幸山幸の素材を工夫したお昼を準備して、もてなして頂きました。ありか゛とうございました。。