野田川サケ今秋も。
「内湾に注ぐ野田川はかつてサケの産地として知られたが、戦後は農業用の堰(せき)が増えて繁殖できない環境になっていた。最近、堰が可動式になったことで復活したとみられ、新潟市の日本海区水産研究所は「野生魚の生態を知るうえで貴重な発見」として、地元の府立海洋高校と共同研究」が動き出したと毎日新聞。5月には、回遊の旅に出る前の稚魚も確認されているとのこと。
サケ見物の方たちがひきもきらず訪れていらっしゃいました。
さて、 今から2万年前のこと、地球の寒冷期のピークには、海面は現在より約120mも低い位置まで低下していたといいます。 120m の水深というと冠島の北約6km 付近。そこまで当時の海岸線は前進しており、そこには世屋川や大手川、野田川へと分かれる仮称宮津川が流れ、そこを今のサケのご先祖様も上ってこられたのでしょう。
このサケのことをカムイチェプ(神の魚)、またシペ(本当の食べ物)とアイヌ民族。
(↑ 世屋川 日置河口)
彼らはこの宮津川流域にも住み着いていたとかんがえられます。流域に生育するブナ、トチ、栗などの山の恵みと海から上るサケを獲ての暮らし、それが縄文時代、その期間は一〇〇〇〇年といいます。豊かで安定していたからこその長さなのでしょう。
「戦後は農業用の堰(せき)が増えて繁殖できない環境になっていた。最近、堰が可動式になったことで復活したとみられ」と毎日新聞。固定堰を、可動堰に変えたきっかけは、台風による豪雨災害。これがあったから、サケはのぼってこれるようになったということ。人間はしたことがまちがっているということがわかっても、すぐにあらためることができない、そんなことがたくさんあります。うかつなことはいえませんか、自然がそんな人間の様子をもどかしくおもってわたしがやってやるとちょっとばかりあばれまわったのかしら、とふとおもいました。
地元のかたに「空にコウノトリが舞い、川にはサケ!野田川周辺の近年の自然の回復は、めざましいものがありますね」とはなしをむけたら
「フナとかモロコがいなくなったままだ、河川と水田とのつながりかたなどフナとかモロコの言い分を聞いてやって改良をはかることがわたしらの課題だ」とおっしゃっていました。