丹後の名峰大江山、
うっすらと薄化粧、
ところで、この野田川町は、、今与謝野町、KTR野田川駅も与謝野駅、、「ノダガワ」という地名が使われなくなり、消えそうにさえなっています。
ノダは、湿地・湿田のヌダ(沼田)地形語であると断じる澤潔先生。このポイントから見るとそういう窪地地形は確かに認められて、さらに、ヌダやノダのもとのヌマはノマにもなった、、こういう先生の説に頷いてきたのです。が、こういう解きほぐしかたを見つけてからは、揺らぎを少しかんじてます。
『「のま野間」は古代には「ぬま奴間」と稱され沖縄県から干葉県、新潟県におよび、特に兵庫県に多い地名です。『魏志倭人伝』に書かれています倭国国名と思われる二十一国中の八国に「何々奴国」とあり、単に「奴国」が二つ記されています。、、、西宮市野間町も古代にあっては南方系の「奴」で、「間」は島と言うように占有地を意味する語でありますから、「野間」は「奴の占有地」と言うことになります。』。「我が家の名字の由来? | 始めるのに遅すぎることはない plaza.rakuten.co.jp/supernumacyan/diary」ですが、この「ぬま奴間」は百済系の渡来人の移住先とおっしゃるのです。
鮭が上り、鞍橋川と歌枕にもなり、渡来人たちによる古代ロマンの花が咲いた豊穣と聖なる地を、単純に湿地「沼ヌマ、ノタ」とよんだであろうか、古代語の「ぬま奴間」というのがあるとするなら、ずいぶん魅力的だというのが、揺らぎの内容です。
つまり、このまま消えていっていい地名なのだろうか、ということです。
大江山を化粧したこの雪、平野を挟んで向かい合う丹後の霊山いさなご山もうっすらと雪化粧。
さてこのままさらにつもっていってくれればうれしいのですが、内山山塊!
どうもそうはいかないようです。