初冬の駒倉林道!
落ち葉を踏む音が気持ちいいです。
さて、みちは「道」。「みち」というのはなぁあ、「くび」という字に「しんにゅう」だぁやと教えました。
道には首がある、、、、こわぁーいやろ!
しかし、そこまで、でしたね。大事なのは、なぜみちに首をおいたのか、その意味なんですけども。
(上 上世屋 六地蔵野良道)
それを教えてくださったのは、白川静さん、『中国古代の民族』によると「道は異族の首を携えて、それによってひらかれるものである」と。またみちは「途」とも。「途は呪針を地に立てて、邪霊がその途から侵入するを防ぐ呪儀を示す」と。古代人は、道路を外界と接するもっとも危険なところとしておそれていたことが字に反映しているとおっしゃるのです。
そういわれれば思い当たることはたくさんあります。
話は飛躍しますが、秀吉の朝鮮出兵に参戦した細川忠興、大阪で待つ妻「珠」への土産は、2000あまりの敵兵の首だったとか。
落ち葉道を、そんなことをおもいながら歩くと、道ばたの笹がざわつくようにかんじるから不思議なものです。