宮津エコツアー · 芦田均元総理大臣と上世屋の段々川!

芦田均元総理大臣と上世屋の段々川!

上世屋は、田圃が段々だけでなく、川も段々です。

img_5099
段々になるまでには、昭和九年には大水害で死亡三名出たのをはじめ、、水車小屋や家屋の流出、家を載せたまま地面が動くことがあったため、強く望まれていたのが、大規模な治山治水事業。これには府や国の支援が必要なのは当然です。

img_0344%e5%b1%b1%e5%90%b9
上世屋の川を段々にするにあたって国との間に立って力を発揮してくださったのは
「昭和七年、ベルギー在勤の大使館参事官を最後として退官し、当時横暴をきわめておりましたる軍部外交と戦わんがために、直ちに立憲政友会に入党し、同年二月の第十八回衆議院議員総選挙に京都府第二区から立って、みごと当選の栄冠を得られたのであります。」と 片山哲氏によって「第32回国会 衆議院本会議 1959(昭和34)年6月24日」追悼された、芦田均元総理大臣です。
そして、その彼に上世屋の悩みをつないだのが、堀当雄元せや上校校長。その手引きで、芦田議員は三回上世屋を視察されていて、国の砂防協会が認める砂防区域編入に努力してくださったということを、小川長治さんが「高原の碧しょう」で紹介されています。

img_5110

芦田氏が亡くなった昭和32年、東京での葬儀の日に上世屋では、「先生にご尽力いただいでかくのごとき砂防工事の進捗に感謝し、上世屋は区長始め一体となって先生の御徳に応えるため、工事停滞することの無いよう努力されたい」と村内放送で弔意を表したというほどですから、安全と賃金の両面から、どれだけ地元が喜んだかが想像できます。

このページのトップへ