放棄されていた棚田に命の風を吹き込んだのは、宮高F探+いわたきっずたち。
耕作放棄されたのは昭和の末。この間、原野化がすすみ、そこをイノシシが宿にするようになっていたところです。
豆おっことぬし号と名付けた耕耘機を駆って、起こしてジャガイモを植え付けたのです。
念ずれば花開くのだ!やろうとまずはおもうこと、
そして、人と人とが新たに結びあい、志と志とがタッグを組むことだ、
その畑のそばに桜を一本、、、、やっぱり「サクラ」です!
「上世屋「令和」一本桜」と命名しました。
丹後里山エコミュージアムのシンボルフラワーとして、令和の時代の幕開けを言祝ぎ、幾時代にに渡って平和のうちに成長しつづけ、100年後にこの樹は令和が始まった年に植えたんだってと振り返られることを願います。