~成相寺を語る~
天橋立を一望する鼓ヶ岳(標高569m)の南東山腹の標高328m辺りに成相寺はあります。
が、創建時は山のさらに上方に位置し、修験の道場となっていたといいます。
その跡地には、スギの巨樹。周径735cm。
室町時代中期には与謝・丹波の両郡にわたって合計60町もの寺領をそなえ、いくつもの子院を従えた有力な一山寺院であったと伝えます。しかし、1400年(応永7年)に大山崩れがあり、いまの所に移って再建されたと言うこと。
さらに、丹後の大寺院だけに、応仁の乱(1467年~1478年)の抗争の戦場にもなり焼失したということ。それを再建したのが、丹後の守護一色氏。
雪舟が描いたのは、その再建された成相寺。とすれば、雪舟を招き、是非にと作画を依頼したのは、一色氏となるかも。
しかし、そうして描かれたものの、寺は天文14年(1545年)焼損、その後、永禄年間(1558年~1570年)・慶長年間(1596年~1615年)の2度の再興によりようやく再建を果たしたとと言うことです。
この間に制作されたのが、京都府指定歴史資料の成相寺参詣曼荼羅。
画面は中央部の山地や雲霞によって大きく上下2つの部分に分かれ、上部には成相寺の信仰世界が描かれるという一般的な構図ですが、特に成相寺らしいのは、その天空の右に金箔の日輪、左に銀箔の月輪が配されているところ。実際に、若狭の海からの、日と月の出入りを見ることが出来るのです。
日の出 撮影日時 2014/09/21 6:02:46
一字観からの日の出 2004年1月。
月の出
日輪、月輪の東西の巡航を拝むことが出来るのはここだけ!
参詣へ誘う強力なアピールポイントがしっかり描かれていることがおもしろいです。
こんな成相寺、704年(慶雲元年)、真応上人の開基で、文武天皇の勅願寺となり、時代を見ながら2007年(平成19年)、高野山真言宗から独立し、真言宗単立寺院として、今に至っているということです。
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