宮津エコツアー · ブログ写真展 「風の吹くあまのはしだてと仲間たち」5

ブログ写真展 「風の吹くあまのはしだてと仲間たち」5

~鉄幹さんの歌の謎~

与謝野寛さん

IMG_0817.jpg勘
招かれて岩滝小学校でご講演なさってらっしゃいます。昭和五年5月のことです。

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(↑天橋立 日本三景 旅館 「対橋楼taikyourou.com/18yosano/index.html から引用)その丹後紀行の際、詠まれた歌のうち二首が碑に刻まれています。
一つは 大内峠に。

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たのしみは 大内峠に きはまりぬ まろき入江と ひとすぢの松

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もう一つは 天橋立に。

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「小雨はれ みどりとあけの虹ながる 与謝の細江の 朝のさざ波」

この二つの歌の、 「まろき入江」と「与謝の細江」。「江」とは海や湖沼の陸地に入り込んでいる所。それぞれ使い分けていらっしゃいます。

「まろき入江」は、岩滝側の阿蘇海のこと、「与謝の細江」。とは、橋立の外海側、

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日本海に向かって北東方向に突き出ている  丹後半島の東側は、橋立部分から日置波見大島伊根までもともと与謝郡。そのため、与謝半島(よさはんとう)という別名があります。
それにしても

「小雨はれ 小雨はれ みどりとあけの みどりとあけの  虹ながる 虹ながる

与謝の細江の 与謝の細江の 朝のさざ波 朝のさざ波」

すらっとは読めるのですが、けっこう難解!

「みどりとあけの  虹ながる」

みどりとあけの虹!?

IMG_0816.jpgなみなみ

みどりとあけは緑と朱、としたら、そんな単純な虹はあるはずがない 虹は赤燈黄緑青藍紫、七色でしょ!

虹 ながる!?

ながる 古語であっても虹が「ながる」という用例はない。虹は架かるものなのです

「小雨はれ みどりとあけの虹ながる 与謝の細江の 朝のさざ波」寛
時は朝 朝の虹 としたら 西の空に架かるはず。

しかし、与謝の細江の 朝のさざ波

これは 橋立の外海、与謝の海 東側 、としたいところです。。

海は空を写します。

ここに雲間から光が差したら、渚に打ち寄せる波は光るだろう、

細江、、、文字通り理解すれば、「細い川」。天橋立には、内海と外海を結ぶ川のような運河があります。

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人が息を吸ったり吐いたりするように、中に、外に、潮が流れます。

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「緑」は松の緑、海の碧、「朱」は曙の光、「ながる」は満ち干する潮の流れ。

その運河の渚に鉄幹さんは立っていらっしゃる、、、、、このあたりが鉄幹さんの歌の謎かもしれません。

IMG_0869.jpgみどり
つまり、実際の空に架かる虹を見たのではないと考えれば理解できるようです。

IMG_1448.jpgさざなみ

運河を川のように潮の流れるのを楽しみ、雲が晴れてさした光を受けた朝のさざ波が、緑に朱色にキラキラッと光るのをたのしんでいらっしゃる、空と海の一瞬の交流をとらえたところは、さすがに達人です。
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鉄幹さん、ロマン主義の歌人で、「1915年(大正4年)の第12回総選挙に故郷の京都府郡部選挙区から無所属で出馬したが、落選した。大正8年(1919年)に慶應義塾大学文学部教授に就任、昭和7年(1932年)まで在任し、水上滝太郎、佐藤春夫、堀口大学、三木露風、小島政二郎らを育てた」ですから、なかなか野心のある方です。

IMG_1023.jpgたかふ

有名なのは、『人を恋ふる歌』

妻をめとらば才たけて
みめ美わしく情ある
友をえらばば書を読みて
六分の侠気四分の熱

恋の命をたずぬれば
名を惜むかな男ゆえ
友のなさけをたずぬれば
義のあるところ火をも踏む

汲めや美酒うたひめに
乙女の知らぬ意気地あり
簿記の筆とる若者に
まことの男君を見る

あゝわれコレッジの奇才なく
バイロンハイネの熱なきも
石を抱きて野にうたう
芭蕉のさびをよろこばず

人やわらわん業平が
小野の山ざと雪をわけ
夢かと泣きて歯がみせし
むかしを慕うむら心

、、、、、、、、、、、、

♪義のあるところ火をも踏む

♪石を抱きて野にうたう

、、おいおいだいじょうぶか、とおもうような開けっぴろげな文言ですが、若い人に人気があった歌と言うんです、

今の人たちにはどうなんでしょうか!

世界遺産の水準の詩というと、丹後旅に同行した奥さんの晶子さんの詩のほうがいいですね、

君死にたまふことなかれ
旅順口包圍軍の中に在る弟を歎きて

與 謝 野 晶 子

あゝをとうとよ、君を泣く、
君死にたまふことなかれ、
末に生れし君なれば
親のなさけはまさりしも、
親は刃(やいば)をにぎらせて
人を殺せとをしへしや、
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや。

堺(さかひ)の街のあきびとの
舊家(きうか)をほこるあるじにて
親の名を繼ぐ君なれば、
君死にたまふことなかれ、
旅順の城はほろぶとも、
ほろびずとても、何事ぞ、
君は知らじな、あきびとの
家のおきてに無かりけり。

君死にたまふことなかれ、
すめらみことは、戰ひに
おほみづからは出でまさね、
かたみに人の血を流し、
獸(けもの)の道に死ねよとは、
死ぬるを人のほまれとは、
大みこゝろの深ければ
もとよりいかで思(おぼ)されむ。

あゝをとうとよ、戰ひに
君死にたまふことなかれ、
すぎにし秋を父ぎみに
おくれたまへる母ぎみは、
なげきの中に、いたましく
わが子を召され、家を守(も)り、
安(やす)しと聞ける大御代も
母のしら髮はまさりぬる。

暖簾(のれん)のかげに伏して泣く
あえかにわかき新妻(にひづま)を、
君わするるや、思へるや、
十月(とつき)も添はでわかれたる
少女ごころを思ひみよ、
この世ひとりの君ならで
あゝまた誰をたのむべき、
君死にたまふことなかれ

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平和、誰も願うことなのに 終末時計 あと2分!

世界から訪れるひとを受け入れる世界遺産には、世界的な詩碑が、ふさわしいと思いますけれども。

どんなお話を岩滝小学校で、なさったのでしょう。

ところでご夫妻が越えて行かれた大内峠、意味のわからない命名ですが、もとはおお落ち峠、

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山田断層による地震で隆起し続けている、断層崖に由来する地形語だってことをどなたか説明してあげたでしょうか!

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夫妻が越えて行かれたこの峠道に春の一番花!

西国三つ葉ツツジ。

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あれ、ウグイスかぐらも。

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