宮津エコツアー · 「弥刀みと」神社と「三重みえ」神社の謎

「弥刀みと」神社と「三重みえ」神社の謎

みとたに夕べ桜

IMG_5872.jpgさくら

家路を急ぐ車にとってはつかの間なのでしょうが、そのつかの間のいやしがたいせつなのでしょうと、水戸谷峠桜が、今年も満開です。

さて、みとたにの漢字表記は「水門もしくは水戸」。意味は、

①河口付近にある海水の出入り口。みなと。 ②「水門(スイモン)」に同じ。

水の「みず」は、現代朝鮮語で水を意味するmul、この”mul”は古くは”mɨl”だったという説に説得力を感じます、

その水戸谷峠の山田側に、「弥刀みと」神社。大宮町側に「三重みえ」神社。一つの峠を境にしてふたつの神社名におなじ「み」の音をもつことに謎を感じます。

「弥刀みと」は「水戸みと」の美辞と考えられるので、「三重みえ」の「三」は「水」。としても「水重」はおかしい、「水え」の「え」は何を意味するのか、そこですね。

「三重(京丹後市大宮町) – 丹後の地名-tangonotimei.com/doc/tango/ktngc/mie.html」
は、「三重とは水辺のことで」はないかとおっしゃっています。これには全面的に納得。

その分析を以下、紹介します。

『宮津の方から行けば、国道312号やKTRの水戸谷峠を越えた所あたり一帯である。峠を下って、酒戸古の信号機のある三叉路をそのまま国道やKTRの進む方へは行かないで、右手(北側)の三重谷へ入ったところである。京丹後市の南東部、竹野川の上流部になる。この谷全体を三重谷と呼ぶ。
この谷間のあたりの水はいったいどう川が流れていたのだろうと思う不思議な場所である。古くは山田側へ水戸谷峠の場所を通って野田川側へ流れていたのではなかろうか。そうした向きの谷間である。ところが山田には山田断層があり、a-aの山脈は絶えず高くなる、そこにある水戸谷峠も高くなる’、水流が削る以上の速度で高くなっていったと思われる。従って三重谷は湖化していた時代があったのではなかろうか。三重とは水辺のことで、ちょっとした湖、湿地であったかも知れない。やがてb-bの山脈を開鑿してこちら側へ水を流した、たぶん人間がこの水路を設けたのではなかろうか。’
野田川に対してその下流側の位置から三重谷の支流が流れてくるというのは普通はなさそうなこと思われる。何か地形の変化があったかも知れない。赤い線の下側に山田断層があり、北側は隆起し、右ずれする、1回の地震で3メートルくらい右ずれするだろうと言われている。過去に2000回ばかり地震があって、三重谷を横切るような断層も何本かありそうだが、こちらがより多く移動したいたと仮定すれば、三重谷の方向は納得できる川筋になる。あるいは600万年くらいかけて丹後半島は若狭湾側へ張り出してきたのかも知れない。』

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三重神社址にはエノキの巨樹。彼に聴けばなにか話してくれるかもしれません。

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