宮津エコツアー · SLたちは眠らない

SLたちは眠らない

加悦SL公園。

DSCN0408今は山中今は浜いまは鉄橋渡るぞ

ここのSLたちは眠っているようでしたけれど、SLの見えるところに、たけっさんが聞き耳頭巾だ、とおっしゃるので、それじゃと借りた『文藝春秋・3月号』を置きました。

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聞き耳頭巾、、、冗談とも本気ともつかないことをよくおっしゃる方なので、訳も聞かずに借りていたのです。

彼らは、眠ってはいなかったのです。

DSCN0426昭和につなぎ昭和を支え、昭和を平成につないでくれた仲間たち

しゃべったり歌ったりしているじゃありませんか!

DSCN0421昭和の仲間
今は山中 今は浜 今は鉄橋渡るぞと
思う間も無くトンネルの 闇を通って広野原
遠くに見える村の屋根 近くに見える町の軒
森や林や田や畑 後へ後へと飛んで行く
廻り灯籠の画の様に 変わる景色のおもしろさ
見とれてそれと知らぬ間に 早くも過ぎる幾十里

この歌1912年、大正時代その始まりの年だった」
「うん、大正はなんとなく、どことなく明るかったが、なんでだったろう」
~Copilot解説~*
大正時代の政治
世論が政府を動かす時代となりました。大正デモクラシーによる普通選挙運動、社会主義運動、労働運動、女性解放運動などの社会運動が活発になりました。
護憲運動が起こり、明治時代の藩閥政治が衰退し、普通選挙が実現されました。
1923年には日本史上最大の地震である関東大震災が発生し、長期間の不景気に陥りました。
大正時代の文化
和洋折衷が流行し、日本本来の文化と西洋の文化が融合した「大正ロマン」が誕生しました。
第一次世界大戦後、工業化が進み、都市部の生活様式が変化しました。
大正時代は、政治や文化の変革が進む一方で、社会的な動きや新たな価値観が芽生えた時代でした。

、、、、、

アジア初のノーベル賞が送られた:タゴールさんが来日しなったの、覚えとるか?

1916年だ。

「耕す人が固い地面を耕している所、道を作る人が石を碑にしている所、そこに神はまします。」
「子どもは、どの子も、神はまだ人間に失望していないというメッセージをたずさえて生まれてくる。」

といいなって、感動したもんだ。DSCN0419

おんなじ12年だけど、昭和12年にも歌、、覚えとるか

忘れへん
♪汽車汽車 ポッポポッポ シュッポシュッポ シュッポッポウ
兵隊さんを乗せて シュッポシュッポ シュッポッポウ
僕等も手に手に 日の丸の 旗を振り振り 送りませう
萬歳 萬歳 萬歳 兵隊さん 兵隊さん 萬々歳♪
、、、
悲しかったな、、、
」 詞をかきなったのは、小学校の今は先生いうが、そのころは訓導、という身分だった。富原さんというかただがな、その学校があったのは静岡県御殿場市、御殿場には陸軍の演習場があって、生徒にはそこから(汽車)に乗って出征する兵隊さんを見送らせんならんかったんやな。
萬歳 萬歳 萬歳 兵隊さん 兵隊さん 萬々歳、、、本気とはおもえんがなあ

~Copilot解説~*
1945年の大晦日にNHKラジオの『紅白音楽試合』(『NHK紅白歌合戦』の前身)で歌われることになりました。その際に近藤積ディレクターから終戦後の時代にあった内容への改作を依頼され、富原さん自身の手によって現在の題名と歌詞に改められたそうです1。

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「汽車ポッポ」の歌詞です

汽車汽車ポッポポッポシュッポシュッポシュッポッポ
僕等を乗せてシュッポシュッポシュッポッポ

スピードスピード窓の外 畑も飛ぶ家も飛ぶ
走れ走れ走れ鉄橋だ鉄橋だ 楽しいな

汽車汽車ポッポポッポ シュッポシュッポシュッポッポ
汽笛を鳴らしシュッポシュッポ シュッポッポ

ゆかいだゆかいだいいな景色 野原だ林だほら山だ
走れ走れ走れトンネルだトンネルだ うれしいな

汽車汽車ポッポポッポ シュッポシュッポシュッポッポ
煙をはいてシュッポシュッポ シュッポッポ

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行こうよ行こうよどこまでも 明るい希望が待っている
走れ走れ走れがんばって がんばって走れよ

富原先生、、偉い人だよ、
あのころ、一番 走りがいがあったのかなあ、、、

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確かに、SLたちはけっして、眠っているのではありませんでした。

『文藝春秋・3月号』は、レコードの針のように、春の日差しの中、SLたちの思い出話を紡ぎだしてくれたのです。

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