サルスベリ、満開!
さて、このサルスベリの話題で同感、共感、そして大きな激励を頂いた文がありました。
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サルスベリはこんなに美しい。旬の夏に行きたい名所 平塚・花菜ガーデン
夏空に咲くサルスベリの溌剌とした美しさに元気をもらう 家庭画報.com
「サルスベリの花を見に出かけませんか?」とお誘いしても、「サルスベリならうちの庭で咲いているから」とか、「近くの公園で見られるから」など「結構です」と断られてしまう気もします。それだけ古くから庭木として親しまれているサルスベリですが、あまりに身近にありすぎて、その存在価値が過小評価されているのではないか、と私は感じています。
かくいう私も、神奈川県平塚市にある花菜ガーデンに行くまでは、サルスベリに名所があることなど考えてもみませんでした。そのときも決してサルスベリを目当てに出かけたわけではなく、夏の庭に咲く元気な花を見たくて出かけたまでです。このガーデンではどの季節にもたくさん旬の花が咲いて心ときめく景色が楽しめますので・・・・・・。
ところがエントランスを入り、目の前に広がる芝生のセンターフィールドを眺めると、その向こうが何やらとても華やかなことになっているではありませんか。何だか胸騒ぎ、いや胸のときめきを感じて足早に向かうと、そこには色とりどりの花を咲かせるサルスベリがあったのです。正直、サルスベリがこれほどたくさん植えられて、美しい景色をなしているのを見るのは初めてのことでした。
だから旬の季節が来たら、ぜひ「サルスベリを見に出かけませんか」と皆さまをお誘いしようと決めていました。
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ところで、良寛さんも花の好きなお坊さんでした。
花は蝶を招くに心無く 蝶は無心にして花を尋ぬ
花開く時 蝶来たり 蝶来る時 花開く
吾も亦 人を知らず 人も亦 吾を知らず
知らずとも 帝則に従う
意味
花が開くと蝶が来る 蝶が来ると花が開く
私は人のことは分からない 人も私のことは分からない
分からないけれど、自然な法則のなかで生きている
《漢詩》
花無心招蝶 蝶無心尋花
花開時蝶来 蝶来時花開
吾亦不知人 人亦不知吾
不知従帝則
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花開時蝶来 蝶来時花開
この「花」の中にサルスベリも含まれていたかも知れません。
「正直、サルスベリがこれほどたくさん植えられて、美しい景色をなしているのを見るのは初めてのことでした。だから旬の季節が来たら、ぜひ「サルスベリを見に出かけませんか」と皆さまをお誘いしようと決めていました。」
ここの部分です。
しかし、一方で疑問も。
花が開くと蝶が来る 蝶が来ると花が開く
私は人のことは分からない 人も私のことは分からない
分からないけれど、自然な法則のなかで生きている
この詩句の意味するところの神髄、不知従帝則、これが体感できるところ、ということを重ねて思うと、、それは人工の都市公園であろうか、とも思います。良寛さんは山路きてなにやらゆかしスミレ草、の時代の人でした。その風情と帝則・自然な法則がそこにあるのだろうか、と。
里山・上世屋の行く道は、花の里!、春は桜で、夏はサルスベリで、上世屋を花の農村公園に、と思う所以です。
いま、約20本、シカやススキと戦いながら、「サルスベリを見に出かけませんか、上世屋に」と誘っていただける日を目指して、さらに、増やそうと思いました。