青い空白い雲
大地山海にあふれる光、、、、いつもの丹後の夏
ただ 今年は様相が異なります、
連日マックスステーキフルコース!
「天の神さん、雨を降らすことを忘れとんなるんだろうか」
心配になるほど雨知らず水見ず
海の京都 夏記憶2023 光あふれすぎる夏 雲わきすぎる夏
ターニングポイントはあの年だったと記憶されなければと、懸念多少。
咲き誇る上世屋ナデシコ
ウエリントンでワールドカップを戦うなでしこジャパンにフラワーパワーを届けようとしているのでしょうか、
ことしは、格別に勢いがいいです
2011年、ドイツ大会で優勝したとき「目に見えない力を頂いた。」と澤選手。
その夏も、上世屋ナデシコの花の咲く勢いがふだんとは違っていたのです。
上世屋ナデシコのフラワーパワーが届いたのだと信じています。
ので、なでしこ色のユニフォームを見ててご覧なさい、
[日本はとても印象的だ。ワイドエリアでの動きが非常に速く、ゲームプランに自信を持っている。スペイン相手にフォーメーションの切り替えもできた。スペインがあれほど苦しむのを目にしたことは、これまでなかった。日本ほど効率的にボールを持てるチームは少ないからだ。日本はスペイン戦で、ボール支配率は23%だったが、5本の枠内シュートを放ち、4ゴールを奪ったのだった。
あの舞台でスペイン相手にそれをやってのけたのは、大きな衝撃だった。女子サッカー界に波紋が広がった。ボールを支配しているからといって、必ずしも試合を支配しているわけではないことを示した。
(英語記事 Why this Women’s World Cup is more open than ever)]

2023年ワールドカップ女子なでしこジャパン、優勝しますよ
ゴールデンウイークは、自然のなかへ!
まず料金についてお断りと訂正。
✖3000円(昼食 別) → 〇3000円(昼食 もしくは丹後ガイドブック付)
失礼しました
川と海の接点。
水源の里
源流の森
こんなところをつなぎます。
さて、いま、なぜ エコツアーか!
エコツアーの「エコ」はエコロジーの「エコ」。
エコロジー【ecology】
1 生態学。
2 自然環境保護運動。人間も生態系の一員であるとの視点から、人間生活と自然との調和・共存をめざす考え方。
「生態学」とは、生物を個体以上の広がりで見る学問であり、英語で「エコロジー」。その語源は「エコノミクス:経済」です。 「エコロジー」という言葉は、1866年ドイツの生物学者E・ヘッケルさんが、「オイコス(家)」と、「ロゴス(科学)」というラテン語を組み合わせてつくった造語です。一方、「経済学」を表す「エコノミー」は、同じ「オイコス(家)」と、「ノモス(秩序・管理)」というギリシャ語を合わせてできた言葉。
「生態学」と「経済学」が「オイコス(家)」という同じ語源を持つのは、この言葉が生まれた時代の経済が、農業中心だったからかもしれません。
「エコロジー」という言葉を、「環境保全をめざした社会運動」として提唱した人物、アメリカのエレン・スワローさんは第2次産業革命が進行し、大量生産・大量消費の社会になりつつあった時代に、遅からず環境問題が生じることを察知し、こんな言葉を残しています。
「この方向はこれからも続くに違いない。だから私たちは身のまわりの環境の状態と変化に対してなんらかの制御力をもたなければならない」
「エコロジー」と「エコノミー」は繋がっている。今、世界で叫ばれているSDGsやESG投資の流れは、「地球」と「経済」の健全な生態系が保たれ、地球をより良い「オイコス(家)」へ導く大きな役割を果たすでしょう。人と地球の共存共栄は、「AIやIoTの第4次産業革命」や、「コンピュータ技術とバイオテクノロジーの融合の第5次産業革命」になっても不変の世界観と言えるのではないでしょうか?
「ヒトは、地球上で生かされ、生態系を託されている、最も責任が重い個体」なんですね。
文:堀内秀隆
(H&K グローバル・コネクションズ 共同創業者/クリエイティブ・マーケター)
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私たちは身のまわりの環境の状態と変化に対してなんらかの制御力をもたなければならない、というエレン・スワローさんのメッセージを少し意識して、命色の風薫る丹後の五月、たのしんでいただけたらとおもっています。
そんな、
染井吉野とかけて、「お砂糖」と解く
その心は!
それを舐めてもおいしいし、また、苦いコーヒーに混ぜるなど、何にでも合わせて新しい味を創る、
「植えられたその地に」花を添えるパワーは、まさに、「お砂糖」!
そこで「その地に根づいて、新しい味を創っている丹後桜大賞2023・ベスト5」
その候補
①与謝野町堂谷橋ふきん
夕焼けと蛇行する川に花を添えています
② 大宮町口大野 鯨橋付近のライトアップ夜桜
18時55分、上りのKTR。
ライトアップは定番。しかし月の出の方向が計算されているのは珍しい!
③ 宮津市上世屋 世屋上小中分校跡
同時期に植えられたものだろう。
メタセコイアは縦に桜は横に、そして夫婦になった。
④ 宮津松尾
若狭の海と山の棚田だけでもいい、
そこに花を添えるとはこのことといわんばかりに桜一本。
その⑤ この席は開けておきましょう!
「加悦町古墳公園」展示。
旧加悦町は、弥生古墳の町、その数644基。
はっくつされた遺物が、ここにあつめられているのです。
集大成しての生生ましい展示は、圧巻。
この入園料、300円は、安いですよ
さて、この加悦、「かや」とはなにもの?
以下、『丹後の地名』師さんのトークで。
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『加悦町誌』
「加悦」という地名の語源は明らかでないが、言い伝えられるものをあげてみよう。
イ、地勢からきた伝説
加悦谷盆地はその昔、阿蘇海に通じた浅海で、その周囲は深い「茅」原であった。また沼地が多く、茅、萱類の繁茂したところであったから、「かや」の地名となったという。
口、神社の祭神からきた伝説
加悦の吾野神社の祭神は「野の神」といわれる「我野廼姫(ルビ・かやのひめ)命」であり、これが、地名になったという。
ハ、郷名からきた伝説
倭名類聚抄には現加悦町一円を「神戸郷」と称している。「カンベ」が転音訛伝して「かや」になったという。その他、名和長年の家臣嘉悦氏がこの地に来て、土豪となり、その姓を地名に用い、 「かや」としたともいうが、これは考えられない。
「かや」を「加悦」と書くようになったのは、江戸時代以後のようで、一一四三年(康治二年)平安時代の兵範記背文書には、「賀舎」と書き、一二八八年(正応元年)の丹後国諸荘園郷保惣田数帳目録には「賀悦」と、一三三八年(建武五年)の日置季久の手紙にも、一四五六年(康正二年)の禁裏造営段銭引付きにも、一四七〇年(文明二年)山田郷菩堤寺の梵鐘にも、「賀悦」と同じ字を使っているが、一五〇〇年頃(永正年間)に書かれた細川政元記には、「賀屋」が使われている。また、算所の小巻家文書には、「薩屋」(私注→薩ではなく産が段の造りである)とあるが、何れもあて字であろう。

カヤという地名は全国に多い古代地名である、それらを丁寧に調べた上でないと確かなことは言えないかも知れないが、
『丹後路の史跡めぐり』(梅本政幸)
加悦の町(かや)
加悦は間人と同じく、日本でもよみにくい町名の一つといわれているが、大伴金村が支配した五三○年頃、朝鮮の任那(みまな)の中に加那(かや)という国があった。また加悦の安良(やすら)は昔安羅と書かれたが、これも任那の都市に安羅(あら)という町があった。いまの威安(かんあん)である。
もう一つは野の神のことを「萱野媛」(かやのひめ)というところから、広々としたこの加悦谷盆地にその名がつけられたとも考えられる。加悦の式内社吾野神社には萱野媛が祀ってあることもつけ加えておこう。
古い文書には「賀悦」「加屋」「賀屋」などの文字が使われているが、南朝の忠臣といわれた名和長年の臣嘉悦氏が一色氏の支配になる前に領主となっていたのでこの字が使われるようになったという。嘉悦氏は熊本と東京に現存する。…
「いま言ったように、この加悦谷は古墳の多いところですから、いまでもあちこちの畑などからいろいろな土器が発見されます。するとここの人たちはそれをみて、朝鮮土器が出た、と言っているのですよ」
「そうですか。なるほどね。なにしろ、ここはほかならぬ加悦ですからな」と、前の席でクルマを運転していた鄭詔文がそう言って笑った。
つられて私たちも笑ったが、しかし鄭はただ笑うためにだけそう言ったのではなかった。その加悦谷、あるいは加悦町の加悦というのが、どういうことであるかという前提があってそう言ったのだった。
そのことは梅本さんの 『丹後路の史跡めぐり』にも書かれているが、加悦というのは、これも安羅同様、のち新羅に併合された古代南部朝鮮の小国家加耶・加羅・加那からきたものであった。『丹後路の史跡めぐり』によると、加悦はもと「加屋」「賀屋」とも書かれたもので、それが現在の加悦となったのは、「南朝の忠臣といわれた名和長年の臣、嘉悦氏」がここの「領主となって」からだったという。
それだけではなかった。加悦町には、これももと「加耶の媛」ということだったかもしれない萱野媛を祭る『延書式』内の古い吾野神社があり、また、安羅・安那・安耶からきた安良というところや、安良山というのもあって、これは古文書にはっきり、安羅山と書かれていたものだったという。
加耶(加悦)、安羅(安良)どちらものちには新羅に併合された小国家であったから、したがってこの加悦に白米山、すなわち新羅山古墳があるのもふしぎではなかったのである。しかもそれが四世紀の前期古墳であるということは、いっそうその意義を大きくしている。
要するに、これから逐次みて行くように、古代の丹後や北陸の国々は日本海をへだてて向き合っていた、朝鮮の新羅文化圏のなかにあったといっても決して過言ではない。われわれがいま加悦谷でみているのほほんのその一部にすぎないが、イナナキという斜面台地の山となっている白米山古墳は、まわりの一部を竹林で囲まれた美しい古墳だった。
…
この書によれば、当HPもお世話になっている梅本さんは当時は栗田中学の校長さんだったとある、白米山は新羅山とは私は考えないが、加悦や安羅山は気になるし、合楽という小字、何と読むのか知らないが後野だが面白そうだ、アラかも知れない、安羅国かどうか単にAR地名かも知れない、さらに奥には与謝と滝、全体が謁叡郷、掘れば「朝鮮土器」(須恵器のこと)がゴロゴロ、地名などからは古代は新羅文化圏・伽耶文化圏と見てもムリはない、そう考えないと解けない地名もある
合併与謝野町歌
1番
大江の峰を 輝かせ 希望に満ちて
日が昇る あふれる緑に 恵まれて
ふれあう心の あたたかさ
ああ与謝野 幸せ創る 与謝野町
2番
大地を潤す 野田の川 生命育み
響き合う 文化の薫りと機の音
新たな世紀へ 伸びてゆく
ああ与謝野 笑顔かがやく 与謝野町
3番
天の架け橋に 夢はせて 水鳥遊ぶ
阿蘇の海 自然と歴史と未来とが
織りなす絆も たくましく
ああ与謝野 あしたを拓く 与謝野町
銅鐸の音、須代野で聴きたい!
実現しました
グヮラーン
堅めのおm追いおm追い重いすこし不透明な音、、、
グヮラーングヮラーン グラーングヮラーングヮラーングラーン
どんなときに!?、なんのために?!
大坂古代史博物館での想像絵、
、、ふむふむ、ふーん!
いさなごの前に、土器を置いてみた
「、、、ウ、、お、、、そうか サケ、酒やあ」
[天女、善く酒を醸み爲りき。]『丹後国風土記』(岩波古典文学大系本)
丹後たにはのみちのしりの國の風土記に曰く、丹後の國丹波の郡。郡家こほりのみやけの西北いぬゐの隅の方に比治の里あり。此の里の比治山の頂きに井あり。其の名を眞奈井と云ふ。今は既に沼と成れり。
此の井に天女八人降り來て水浴みき。
時に老夫婦おきなとをみなとあり。其の名を和奈佐の老夫おきな・和奈佐の老婦おみなと曰ふ。此の老等、此の井に至りて、竊かに天女一人の衣裳きものを取り藏しき。即やがて衣裳ある者は皆天に飛び上がりき。
ただ、衣裳なき女娘一人留どまりて、即ち身は水に隱して、獨り懷愧居りき
、、、
「一坏飮めば、吉く万の病除ゆ。其の一坏の直の財は車に積みて送りき。時に、其の家豐かに、土形富めりき。」
はごろもを隠した爺さん、おおもうけしたんだ、天女にサケをつくらせて!
やよい須代人はそれほど「飲んべえ」だったのか?
どうなんでしょ、まだまだ謎はなぞを生みます
。