2012/08/27
春という時、秋という時、「時」の上に「草かんむり」を載せて「蒔く」。
時が来るから蒔いても芽がでるのです。
あらためてなるほどー!と思わせるのが、ソバ。
8月21日に蒔かれた種、27日には発芽。
22日、「世屋の子・キッズ」でAさんファミリーやみんながソバを蒔きました。
5日後の27日には、芽を出しました。
ツリガネソウが咲きました。
秋の深まりと競うように育っていきますよ。
2012/08/27
、この場所、この前、刈ってもらったところ。
でも、少し油断すると、、、、、。
ヒシバ、エノコログサ、ヒエ、チガヤ、ススキ、、刈っても刈っても伸びてくる草。イネ科の草たちです。タフです。ちょっとマイク向けて見ますね。
「せっかく伸ばしたのにかられてしまう、ひどいじゃないですか、情けないったらありゃしない、成長点がなくなったら、一巻の終わりなのよ、葉の先を食べられても成長点が下にあったらいい、そういうことを思ってきたわけ。念ずれば花開く、ようやくのことで成長点を地面の近くに下げることに成功したの。
馬や羊が繁盛したのも、葉を食べられても成長点が残っているから押し上げるように伸びる私たちのおかげよ。おぼえておいて、あんたたち「焼き肉」食べられるのは、私たちの苦労の歩みがあってのこと、」
2012/08/27
スピード狂たちが、狭い曲がり道を走り抜けるのか、と思っていいました。
しかし、こういうもんだそうです!「ラリーはサーキットレースの様に1度スタートしたらゴールまで一番早く着けば良いというシンプルなルールではない。 幾つものステージで、異なったスタート地点で指定時間にスタートを切り、場合によっては数十キロ離れた所でゴールを迎える…事を繰り返すので、この指定時間を守れないとラリー競技は進行に支障が出る…というか、競技が成立しない。
そのため、時間通りにTC(タイムコントロール)に到着しないと、走行時間のトータルにペナルティタイムが加算される。、、、、」
紳士的に常識的に、世屋の里を走り抜けていらっしゃいました!
が、ある所では。弘法もハンドルの誤り、こんなことも。
気をつけてくださいね。
2012/08/26
堤ケ岳556.mは、橋立を見下ろす山。(雲の下の稜線の△にとがった部分)
頂きには雨乞いのために甚五郎さんに頼んで彫った龍を掲げる成相山、
山の向こうにはその想をねったという龍渓。
丹後半島には鼓の字のつく山がもう一つ。太鼓山. 標高683m。その山名について、かの澤先生、山頂で足踏みしたら音がした、とか山体が鼓に似ているとか、雷がよくなるとかの由来説明を排して、雨乞い太鼓山として、こうおっしゃいます、「中腹の登り口に鴨之池があって、昔修験道の人や村人が太鼓を打ち鳴らし、池の周りを廻って踊りを奉納し、雨乞いをしたこともしばしばあった、、、雨乞いに雷鳴を感じさせる太鼓敲きはふさわしい」。
鼓ケ岳もやはり、太鼓を敲いて降雨を祈った山、と考えるのが妥当でしょう。
それにしても、雨乞いをしたくなるほど雨が降りません。
撮影拒否するほど渇水!!
2012/08/26
モンシロチョウがオトコエシを訪れたのは、「白さ比べ」のため。(まあそうしておきましょうよ)
モンキチョウがオミナエシを訪れたのも「黄色さ」比べのためだったのですから。
ちなみに荒れた乾いた生育環境にも耐えられるタフさを持っているのは、オトコエシのようです。茎も丈夫で毛が生えているときたらどう考えても「おとこ」です。一方人なつっこいのがオミナエシ、華奢ですらっとしてどことなく色気を漂わせる、こちらは「おんな」。
では、「えし」とは?「めし飯」という説があります。米の飯のようだ、こちらは粟の飯のようだ。この辺から話がややこしくなります!米の飯は男が食って、粟の飯はおんなが食う!どう思います、許容範囲を越えるという向きのかたは、こういう話があります。「えし」を 茨城では、「おまえ・あんた」というそうです。これが古語だとしてあてはめたら、「おとこのひと」「おんなのひと」ということになります。