2013/01/26
厳寒の朝、平治峠にたつお地蔵さんに会いに行きたくなりました。
巨大さにあわせ、表情の優しさと蓑を着たお姿も不思議な地蔵様。
「しんべえさん、さむかろう、どうぞぬくもってくだされ、」今年も蓑を着せてもらっておられます。
高さは、重さは、石はどこから、輸送は、費用は、石工は、発願主は、、、、、誰によっていつ、なんのためにここに建立されたのか、誰もが、ふと思うことです。
手を合わせながら、いわれをかみしめました。
天保3年(1832)の建立。丹後の農民が立ち上がった文政一揆の直後のこと、リーダーたちの霊を慰め、誇りとして言い継ぎ語り継ごうと呼びかけたところ、丹後地方はもとより、関西一円から浄財ガ寄せられたということ、その数7万5000人。ともに戦った誇りと、悪政許さじの決意がこの石像を作ったこと。
また、なぜここでなければならなかったのか。指導者の一人、吉田新兵衛さんが常吉の里の出だったといいます。しかし、それだけで、権力に抵抗したものを賞賛する行為が容認されたとは思えません。そんな謎をなぞのままにしておけないと解明に取り組んだある二人のことも。
平治峠は京丹後市と与謝野町を分ける峠です。