色づいた稲に寄り添うようにツユクサ
どれくらいのおつきあい!と聞いたら、6000年と答えてくれました。
というのは日本の稲の歴史では縄文時代前期、6000年前焼畑耕作によって、ヒエやアワ、キビとともに栽培され、縄文晩期の2600年前 温帯ジャポニカが水田耕作されていた、それと共に付いてきたものだということです。
また、此のツユクサ、食べることもでき、そして、薬効もあった、、、しかも、可憐、月草、、、名前 最も美しい名をつけられていた、そういうことから秋の七草の有力候補、最終選考に入ってたはずの代物だったはず。
しかし、八番目だったのは、、一日花の短命がさけられたのかも、、、。