暖冬で、雪の下のはずの枯れ草、色も形もさまざまな様子を見るのは楽しいものです。
与謝蕪村さんも一句。
草枯れて 狐の飛脚 通りけり
蕪村さんも、冬野の枯れ草のさまざまさを楽しんでいたのでしょう。
ところで、この句
株式会社石井建築事務所の増澤信一郎さんはブログで
「枯れ草に一陣の寒風が走り抜けるさまをキツネの飛脚が通ったようだ」と解釈されました。状況はそうなんでしょう、狐の飛脚とは疾風のことなのかと合点しました。
でも、その状況がなぜ狐の飛脚なのでしょう、走り抜ける一陣の疾風という意味で狐の飛脚を使ったこと、句会に居並んだ皆さんには共有のネタか゛おありのことだったんでしょうが※。
林道で狐に遭遇しました。尾の太いなかなかの狐でした。私の出会った狐は、急ぐ気配はありませんでした。
※しらべますと、故事昔話 に「はち助いなり」というおはなしか゛あるようで、この話をふまえての、 「 草枯れて 狐の飛脚 通りけり」たったかもしれませんね。
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昔話 「はち助いなり」
放送回:0270-B 放送日:1981年01月03日(昭和56年01月03日)
演出:三善和彦 文芸:久貴千賀子 美術:小関俊之 作画:三善和彦
まんが日本昔ばなし 1975年~1994年、TBS系列で放送されたTVアニメ「まんが日本昔ばなし」の全話あらすじデータベース。
あらすじ
昔、福井県の小浜の殿様が、おしのびで城内を見回っていると、人足(にんそく)が白狐を袋叩きにしている現場に出くわしました。かわいそうに思った殿様は、お城で介抱し山に帰してあげました。
数か月後のある日の事でした。七日以内に江戸まで届けないといけない書状がありましたが、飛脚が病気でたおれてしまいました。代わりの飛脚も見つからず、すっかり困っていた殿様の前に、はち助という男が名乗りでました。
はち助は無事に七日以内に書状を届け、さらに江戸からの返書を持って帰ってきました。普通の飛脚の倍の速さで往復したはち助は、城のおかかえ飛脚となり、頻繁に江戸と小浜を往復するようになりました。とにかく律儀に働くはち助を、殿様は大変かわいがりました。
しばらくして、はち助は再び江戸に向けて出発しましたが、何日たっても帰ってきませんでした。はち助の身を心配した殿様は、ふと以前に「小田原のむく犬には困っています」と言っていたはち助の言葉を思い出し、大急ぎで小田原へ向かいました。そしてある山の途中で、江戸からの返書が入った箱の上で、箱をかばうように死んでいる白ギツネを発見しました。
実は、はち助はあの時に助けた白ギツネの化身で、城に戻る途中にむく犬におそわれ息絶えたのでした。殿様は、はち助の死を悼み、城の中に立派な社(やしろ)を建て、八助稲荷(八助いなり)として祀りました。