一瞬、縄文時代にタイムスリプしたかのような気分。
(↑ 2/25 与謝野町かご)
山に熊、野にイノシシや鹿を追い、川で鮭を待った縄文人が、弓を向けるように強い殺意をもってカメラをむけていました、、
肉は食糧、毛皮は衣類、あの角は槍やヤスや銛、釣り針に、、、を頭に浮かべながら。
しかし、米を作る人間たちが縄文の人たちを追いやることで事態は一変。
(↑ 大江町毛原)
けれども、気品があって堂々として、、、
森神様にはいていただかなくては悪いことがおきます、、、、ぞよ、、と思わされました。
さて、この角。毎年生え替わる、成獣だと三つ叉まで、時には五つ叉のもの。時期は春に。1年でこれだけ、一日に数センチ。
春日大社では神の使い。蘇りの見本のようなものですから、聖獣、神の使いにならざるを得ないのです。まあそれは人の都合で、この角の意味、天敵オオカミと戦う武器?なら落としてはいけない、毎年生え替わる、なぜそんな無駄なことをするのか、それはひたすら、秋の恋の季節に向けてということ。オスとしての強さをしめすためなんだそうです、、、やれやれ。