宮津エコツアー · 《でんでんむしのかなしみ》

《でんでんむしのかなしみ》

かなりの大物です、

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(上 里波見 高嶋神社の大椎で)

おもしろいんです、聞いてやってください、オスかメスかと。「どっちも」と答えるはずです。

さてこの生き物、あなたはどう呼びますか
なめくじ!あなたはもしや熊本の方でしょ!いいえ、青森です。
この生き物については、呼び方がいくつも地方にあり、推理小説のネタにもなりうる面白さがあるのですって。。
具体的には
①ナメクジ青森熊本②つぶり岐阜③かたつむり北海道青森岩手千葉高知④まいまい千葉広島⑤でんでんむし岩手大阪長崎
このように、同じ言葉を使う地域が東西に存在しているのはなぜか、その謎に取り組んだのが柳田国男さん。かいつまんでいえば、
言葉は、池に石を投げ込んだ水紋が広がるように伝わる。言葉には流行があり、違う表し方が生まれる。その言葉もまた、前の言葉を追いかけ、水紋を描いて広がる。その有力な発信地は、文化の中心地であった京都は、千年の古都というほどで、長く文化の中心地で、言葉に関しても有力な発信地であった、ということです。
調べてみると、言葉の生まれたのは、番号順で、①ナメクジ②つぶり③かたつむり④まいまい⑤ででむし。へーえ、「でんでんむし」は、はじめは「なめくじ」だったのですかぁ!です。

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ところで、《でんでんむしのかなしみ》と題した法話、を拝読しました。
なるほど、と身につまされましたので、掲載させていただきます。
「この世において、どんな人にもなしとげられないことが五つある。一つには老いゆく身でありながら老いないということ。二つには病む身でありながら、病まないということ。三つには、死すべきで身でありながら、死なないということ。四つには、滅ぶべきでありながら、滅びないということ。五つには、尽きるべきものでありながら、尽きないということである」(仏教聖典より)。
私たちは、生まれることからしても、男性に、女性にと願いが叶って生まれた人はいるのでしょうか。歳を取りたくない、いつまでも若く。病気もしたくない、挙句の果てには、できたら死にたくない。何もかも嫌だ、嫌だと、100%思い通りにならないことを思い通りにしようとすると、そこへジワジワと苦しみが押し寄せてきます。
生まれる時も「おまかせ」、老いていくのも「おまかせ」、健康を損ねた時も「おまかせ」、そして、命の使用期限が切れるのも「おまかせ」・・・・・・と、どうにもならないことは「おまかせ」するしかありません。
このどうにもならないことはとても悲しいことでもあります。しかし、この世に生を受けた以上は背負って生きていかなければならないのです。あのカタツムリが殻を一生背負って生きていくように。
新美南吉作「でんでんむしのかなしみ」のあらすじです。
ある日、でんでんむしは「自分の殻の中には悲しみしか詰まっていない」ということにうっかり気付き「もう生きていけない」と嘆く。そこで別のでんでんむしにその話をするが「私の殻も悲しみしか詰まっていない」と言い、また別のでんでんむしも同じことを言った。そして最初のでんでんむしは「悲しみは誰でも持っている。自分の悲しみは自分で堪えていくしかない」と嘆くのをやめた。、、、、、、、
そうです、悲しみ、苦しみ、悩みは誰もが背負っています。その荷を軽く感じるか重く感じるかは自分次第です。出来るだけ荷を軽くして一度限りの人生を楽しみましょう。
古山敬光さん、、、、ということです。古山さんは、京都のかたですね(⌒∇⌒)。

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