ステンド、、、あれれれ!
キリスト教会といえばステンドグラス、ではあっても、、「ステンド・ガラシャ」とはねぇ!!
京都市内の道ばたでみかけました。よほど愛着をお持ちなんですね。
経営者は福知山か宮津出身の方なんでしょうか。
丹後でも、ガラシャさんにご協力をお願いした地域振興の取り組み。
そのパンフレット。①
ガイドの会も協力させてもらっています。
細川玉、元明智玉、後の細川ガラシャは、戦国の世が織田信長や豊臣秀吉、徳川家康とともに語り継がれる限り永遠の人です。
本能寺の変を宮津で知らされたその玉さんが、一時身を隠したという味土野の里への往還路は何れであったか、それにほぼ決着を付けてくれたのは、江戸初期1650年ころ作成の丹後古地図でした。年貢街道として日置から世屋、さらに野間、宇川へと続く道が明記してあります。それは、安土桃山時代の官道でもあったはず。玉は、かりそめにも大名家の奥方、威厳をもってその丹後国道を移動をなされたにちがいありません。その年貢街道が、縦貫林道と交差するのが、岳の南側の入山口。いわばそこは「ガラシャ交差点」。
その交差点を海側に降りると、一本桜。この桜、松尾のお百姓さんが植えられた物。こどもの誕生のさいに健やかな成長を願ってうえたという理由は理由として、海と空の間に咲く孤高の花姿は、評価のいまだ定まらぬ歴史論争の中に咲きつづけるお玉様そのものだとも思えてくるのです。
単にガラシャスポット巡りではなく、世屋・野間の里山に息づく「戦国」を体感しながらという内容にし上がっていると思います。関心のある方はお問い合わせ下さい。