雲と接する雪山の尾根筋が丹後半島山塊の西側、
左から高山702m、駒倉越え 味土野越え 高尾山、しばらく水平な部分があって右のほうにとがっているのが、金剛童子山。
その金剛童子の山麓にあるのが、ガラシャの里味土野。
その里の今日。
ここで二冬暮らされたガラシャさん 「信じとうありませぬ、ゼウスの神も御仏も」という心境だったろうと綾子さん。
こんなふうに書いてらっしゃいます。
「雪の降る前に城から食糧は届いた。米、味噌、栗、柿、干わらび、塩魚、干し魚などである。が、やはり忠興からの手紙はなかった。略 味土野で初めての正月が来た。昨年の正月は、めでたく正月をむかえたものをと、あらためて涙のこぼれる思いであった。
略 「お方さま、佳代には何の力もございませぬ。ただ祈るより・・・・。」「なにを祈ってくださるのです。一日も早く帰ることができるようにと祈ってくださるのですか。」「・・・いえ、佳代はその祈りよりももっと大切な祈りを捧げております。」「帰城するよりも、もっと大切な祈り?・・・それはどのようないのりですか?」「はい、それは・・・・もろもろのご苦難が、お方さまにとって、大きなご恩寵とお思い遊ばすことができますように、という祈りでございます。」「略 それより、帰城できるようにとの祈りの方がありがたいと思います。」「はい、その祈りは朝夕はもとより、機を織りながら、歩きながら、毎日欠かさずしています。でも、お方さま、人の一生は、苦難の連続かもしれませぬ。無事ご帰城なされても、また、別の、もっと大きなご苦難が待っているかもしれませぬ、、、」「・・・」「よくばあでれがおっしゃいました。苦難の解決は、苦難から逃れる事でなく苦難を天守のご恩寵として喜べるようになることだと・・・。」略 「わたくしには、ゼウスの神も御仏も信じとうありませぬ」
『細川ガラシャ夫人』三浦綾子著(1973~75年)
佳代とガラシャさんの会話
こんな囲炉裏を挟んで交わされたんでしょうか。
それはそれとして、織田信長を倒そうと今川の息子や徳川家康と手を組んでいたって女城主直虎の話、とても面白かったです。
さて、それが真実なら、ガラシャさん、ちょっと聞いてみたいんだ、あんたは知らされていたんかね、おとッつぁんから。
幽斎候、忠興の動向を知らせよとか命じられていたとか、そういうことは