宮津エコツアー · 今日の世屋路丹後路 2月11日 ~その谷の名はくるま谷~

今日の世屋路丹後路 2月11日 ~その谷の名はくるま谷~

冨持神社のまえでのこと。

20220212_151654いさなご神常石↓

あれがいさなごさん、、左の谷から入って尾根にとりついたら右に登んなれと教えてくださった。

その谷の名はくるま谷

なぜくるまなんでしょうねーとふったら

b0325317_21452977_jpegとらさん

「とらさんの出身地だろうでー」 とわらいなった

気になったのでチェックしてみたら、群馬県のhpにヒットした。

、、、、、

「群馬」の由来は「車」から

およそ1,300年前、藤原京(694~710年)の時代の資料によると、現在の群馬県の中に「車評(くるまのこおり)」(「評」は大宝律令によって「郡」となる)と呼ばれていた地域があったとされています。
奈良時代に入るとすぐ、和銅6年(713年)の諸国の風土記編集の勅令により、国・郡・郷名はその土地にあった漢字二文字で表すこととされ、国名「上毛野国(かみつけのくに)」は「上野国(こうずけのくに)」に、郡名「車(くるま)郡」は「群馬(くるま)郡」に改められました。

群馬県の県名が初めて使われるようになったのは、第1次群馬県が成立した明治4年10月28日のことです。これは、明治4年の廃藩置県を受けて、高崎・前橋の大部分を含み大郡であった群馬郡を県名とすることがふさわしいと判断されたことによります。これにちなんで、10月28日は群馬県民の日となりました。

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「くるま」の名は、渡来人が多く住んでいたため「呉人(くれびと)の住む土地」から「くるま」になったとする説、古代の豪族「車持君(くるまもちのきみ)」が住んでいたとする説、川が曲流することを表す地名「くるま」からといった説がある、とも。

「とらさんの出身地だろうでー」のすいさつは、あたらずといえどもとおからず

常のくるま谷は、寅さんとつながる人たち由来の谷!

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(上 冨持神社 奉納額)

澤潔先生の、くるくるまわって屈曲のおおい谷という曲説はうけいれがたいですね。

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