宮津エコツアー · トピックス

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三裂した葉、「鷹の爪」です。

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丹後はこれから冬入り!

さて、そんなところに、某観光協会から連絡。

スノーシューの問い合わせかとおもったら、

要件は、松尾一本サクラの問い合わせ。

業界は もう春のプラン作りです

写真をみつくろって数枚送りました。

この歳の満開は4月15日。

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こっちのは、ずいぶん遅くて4月23日

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ライトアップしたらこんなになりますよ!

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撮影する時間は、斜光が西から当たるときがいいようですよ、ともう一枚。

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四ヶ月も先きのことなのですが、明日にも春の嵐が吹くような気がしたのも不思議なこと。

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その四ヶ月、

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あっという間にくるのかもしれません。

 

♪出て来い出て来い池の鯉、、♪

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この唱歌は、こう続きます

♪  底の松藻のしげった中で、 手のなる音を聞いたら来い、 聞いたら来い♪

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子どもたちも寄る事の出来る緋鯉真鯉を飼う池、といえば、かってはどの里にもあったお寺の池。そんな池がめっきり少なくなるなかで、ゆったりと泳ぐ鯉を見ることが出来る、日置・妙円寺の八景園は貴重です。

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ここの池に映る紅葉を見ると、一年の疲れがなんとなくほぐれていく感じがします。

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お寺の訪れるのは、朝の10時頃がお奨め。

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日置、と言うくらいで、お寺は南東向き。ちょうど良い角度で日が差すのが、その時間です。

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ということで、妙円寺の「いましか・ここしか・あなたしか」は、八景園庭園の池に映える紅葉、そしてそれは年の瀬12月、快晴の朝の10時頃!ということです。

雪が似合うのが丹後、

そのなかでもよくなじむのが゛五十河の里。

その初雪模様。

その① ごおら田圃ふきん

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秋と冬のはだらな重なり合いが味わい深くて魅力的です。

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その② 五十河の笹葺き民家ふきん

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人と暮らしと自然と季節、、、四拍子揃っている五十河のさとならではの初冬の景色がすてきです。

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その他にも今しかここしかのもの。

五十河・籾殻岳の冠雪!

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水揚げされたマツバガニのようなハゼの葉の落ち葉、

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五十河・上世屋を結ぶ縦貫林道成相線、春まで冬季休業にはいったようです。

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ところで、季節に関しておもしろかったのは京丹後市の広報12月号の編集後記「つぶやき」。師走号ですから、「朝晩は特に寒く、秋を通り越して、冬を感じます。」で始まるんですけれど、「わたし自身この4月に京丹後市民となったので、特別な一年だったなと感じています。」とおっしゃって、この丹後暮らしで「周りの景色も、いつの間にか生い茂る緑から鮮やかな赤や黄色に変わり、季節の移り変わりの早さに驚くと同時に、目で季節を感じられる日本の良さを再認識しました。」と。里山丹後から発信できることは多いいということを感じていただいたことがうれしいですね、いっそうの活躍を期待します。

 

 

文殊智恩寺境内のお石塔たち。

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この法きょう印塔は初代宮津藩主京極高知が建てたとされます、

慶長一六年二月の日付があるとのこと。

では、誰のために?!

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基壇石の文字は消えている。しかしうっすらながら読みとれる二つの文字、「一夢」。

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その 一夢の、前には「稲富」、あとには「直家」とあったといいます、つまり、「稲富一夢直家」。

藩主高知をして、供養せしめた「稲富一夢直家」とは、どんな功績を残した人物なのか、

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教育委員会の解説はあるけれども、なにもつたえていない解説といわざるを得ない!

おりから、町にはガラシャ旗!

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この、「稲富一夢直家」深く、ガラシャと関わっている人物です。

 中村彰彦『ガラシャを棄てて』(徳間文庫・『敵は微塵弾正』収録)

とあるように、玉造の細川屋敷の警護団にありながら生き残ったため、世評では「裏切った」「逃亡した」とされるのが、この供養塔の横に墓石の立つ稲富直家なのです。

「稲富流砲術の創始者である稲富伊賀守直家について、松本清張さんが書いた「火の縄」を読みました。稲富直家(この本では稲富治介という名前)以外にも、その主である細川忠興とその妻である玉(ガラシャ)も主人公といえます。時代的には、細川忠興が織田信長より丹後の地を賜ったところから、稲富治介が細川家を離れて、最後は徳川家康に鉄砲師匠となったあたりまでが描かれています。稲富治介は稲富流砲術の創始者として有名ですが、他に有名なエピソードとしては、関ヶ原の戦いの時期に、細川ガラシャと共に大阪の地におりながら、石田家が細川ガラシャを拘束しようとした際に、逃亡したことがあげられると思います。一説には臆病だから、ということもあるようですが、この本では、主人公の一人である細川忠興や玉(ガラシャ)との良好でない関係というのも一因となったようにしています。」と、言う人もあります。

そういう評判の発信もとは、霜というガラシャの侍女からの聞き取り、いわゆる「霜女覚え書き」。表門の守りを命ぜられた直家が敵兵に囲まれて去っていったところを目撃したと聞いたと彼女はいう。この証言は、事件から45年後のことという。たった一人の証言によって、「有罪」となるのであろうか、

根っからの丹後人、真のガラシャ人なら、そこはおかしいとするでしょう。信憑性はあるのであろうか、見間違い、聞き間違い、勘違い、あるいは誘導、そういうものがなかったのだろうか、と。これは怪しいとしなくてはならないところですよ。

本当か、嘘か、、、真実は高知が知っている。しっているがゆえに、この手厚い供養のではないでしょうか!

そして、そのまかり通る世評の謎を暴いたのが、峰山の郷土史家、伊崎義明氏の想像力。『時代小説 戦国哀史 花なき峰』(昭和52年刊)。

彼は、『夫人もろとも生死の境に直面した彼が、今こそ鉄砲にかけて最後の防戦に出るのが常識』、屋敷の外に出た事を踏まえながら、表には出ない何かがあったとする、たとえば手の込んだ策略にはめられたのかもというのもその一つ。根拠は、争いが起きた様子はなかったという状況。なにか出ざるを得ない話を持ちかけおびき出し引きずり出して、そのうえで、「なおいえがうらぎったぞう」と叫ぶ、それを真に受けた他の家臣がここまでと、屋敷に仕掛けた爆薬に火を付けたことも考えられるではないかと。

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伊崎ワールドでは、彼こそ丹後の麒麟児。

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真実の解明は、裏切ってはいない、ということを確信する気合いから始まります。

この本、宮津図書館にあります、

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ガラシャの最期が変だ!

光秀の裏切り者としての評価が覆った今、「麒麟が来る」の機会を生かすためにもお奨めの一冊です。

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それにしても、『夢』を用いた名、直家自らの案なのか、また、誰かの命なのか、そして、その夢とはなんだったのか、、玉、ガラシャが深く関わっている!というのが、伊崎さん。わたしもそうおもいます。

 

 

 

 

 

丹後縦貫林道の角突山線のビューポイントからの若狭湾です

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伊根湾を囲む山、青島や冠島と沓島がむっつりとしているのは、シイやタブ、ツバキなどが森を作っているからです。丹後の山のおしゃべりな紅葉と無口な島が対照的です。

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若狭湾の東の端、越前海岸の上に、「若狭湾の守り山は我ぞ!」というように冠雪の白山!

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まもなく丹後の山にも雪。

冬季は丹後縦貫林道は不通になります。

山が冬の眠りにつくまえに、紅葉を楽しみませんか。

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ところで、もう一つ、

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FM丹後で 本日一時より、ひるラジたんご、ふりちゃんとみんなの輪 で、丹後のブナの森について「語り」ます!

つわぶきの向こうにシイの巨樹、

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宮津山王日吉神社です。

踏む砂利の音が、心のリズムを整えてくれます。

観光シーズン、待つ人のあふれる居酒屋がある一方、しいて人を求めない清潔さが嬉しいです。

宮津を鎮護する役柄への深い自覚が、こうした威厳を醸し出すのでしょう。

神域全域が文化財環境保全地区に指定されるのも当然です。

山の王 を名乗るのにふさわしいのが、境内の木々。

なかでも、シイ、これは一件に値します。

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時折行き交う電車の音も、静けさの妨げにはなりません。

また、11月はサザンカ!

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近在に珍しい巨木です。無数の花を咲かせます。樹の下によればほのかに香る甘さ、一つ一つの花からの香りは無い花なのに、無数の花がさくからこそ味わえる季節の香りです。

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漱玉亭の山茶花と呼ばれます。江戸時代初期、宮津藩主の手によって庭園が整備された際のもので、宮津市指定自然文化財の名に恥じません。

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■宮津城下を見下ろす丘の上を神域として宮津を鎮護する山王宮日吉神社。敏達天皇元年(572年)を起源とする境内は樹齢一千年ともいわれます椎の御神木をはじめとした巨木に囲まれ、ご本殿を中心に八社の摂・末社が鎮まります。ご本殿や幣殿拝殿また神輿、灯篭にいたるまで、神域の多くは歴代の宮津城主が再建寄進したもので、山王宮と宮津藩との深い繋がりを窺うことができます。江戸時代初期、藩主・阿部正盛により再建されたご本殿は京都府指定文化財に、また神域全域は文化財環境保全地区に指定されています。
境内は四季折々の美しい花々や野鳥のさえずりに包まれ、清らかで心癒される神域として古来変わらずに神々しい環境が守り続けられています。

季節の中でさまざまな神事や祭礼が執り行われています。
春の例祭「山王祭」は江戸時代には藩祭と定められ、宮津の町衆ばかりでなく藩の武士まで行列に参加しました。「宮津祭」の名はそうしたことから付けられた山王祭の俗称です。
山王の神は災厄除去の神であり、また安産・子育ての神でもあります。一年を通じ、杜の緑に囲まれた神域では様々な祈願祭や初土俵入などの可愛らしい行事が行われ、平安や幸福を願う多くの参拝者で賑わいます一年を通じ、杜の緑に囲まれた神域では様々な祈願祭や初土俵入などの可愛らしい行事が行われ、平安や幸福を願う多くの参拝者で賑わいます。

山王宮日吉神社www.sannougu.jp より )

11月3日は上世屋がおもしろい!

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藤織りの実際の見学、振る舞い芋煮汁のほか、バザーには持ち寄り参加も可とのこと。

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ラグビー棚田カップも見逃せない!

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ここでやるぅうー!(わけないでしょ)上は春、田植え前の棚田、

今は、こんな感じです!

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一年の講習終了時恒例になっている大収穫祭「世屋の恵みと藤の風」、藤織り保存会の皆さんを中心に上世屋の皆さんが準備をしてくださっています。

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紅葉の始まった林道ドライブも楽しいですよ、行き帰り、ぜひご利用ください。

紅葉ハイキングッのご案内

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ブナたちの紅葉を見ずして一年が終われない!ブナの紅葉ってどんなんだろう!

そんな方にお奨めのツアーです。

コースは、
五十河小町公園 →内山ブナハウス→内山ブナ林 → 高山ブナ林→内山ブナハウス→小町公園

日にち 8日金プラス10日日 スペシャル二回、

申し込みは、オーガニックライフクラブ 電話0772-68-0188 まで。

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さて、色が揉み出すことを「もみず」、漢字では、紅葉づ/黄葉づ。
モミジは、そこから生まれた言葉です。
「手始めに山の頂もみづれり」
「もみづれる山の快挙と申すべき」
紅葉は、平均気温が10℃を下回るころが目安。モミジは四季のある温帯の木々の特徴です。葉は木々のエネルギー生産工場、工場を閉じるか閉じないかは維持費で決まります。木も経済を考えいるのです。

絶滅寸全種、生存に希望!

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『サンショウモ』

京都府カテゴリー  絶滅寸前種
環境省カテゴリー  絶滅危惧Ⅱ類(VU)
近畿レッドデータブックカテゴリー  絶滅危惧種C

ツキノワグマでは

京都府カテゴリー

絶滅寸前種

2002年版 絶滅寸前種 2002年版を参照する
環境省カテゴリー なし

クマタカ

京都府カテゴリー

絶滅危惧種

2002年版 絶滅危惧種 2002年版を参照する
環境省カテゴリー 絶滅危惧ⅠB類(EN)

メダカ

京都府カテゴリー 絶滅危惧種
環境省カテゴリー 絶滅危惧II類(VU)
現状・脅威・保全 府内では特に保護は行われておらず、京都市内ではほぼ壊滅状態にあり、まれにオオクチバス、ブルーギルの侵入していない山間の池等でみつかることがある。開発による生息場所の消失、農薬などによる水質汚染、魚食性外来魚による食害、同じ生態的地位を占めるカダヤシの侵入が脅威となる。休耕田などを用いた生息場所を確保する。ただし、地域個体群を遺伝的汚染から守るために、他水系産メダカの安易な放流を控える必要がある。

大きな生き物には生物多様性保全といいます、関心は低くは無いとおもいますが、人の目は大きなものに向けられる関心に比べてこういうタイプのものにはあまり注がれないのかなと思います。

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しかし、古代水田の原初形態を残す環境でないと生きていけないサンショウモの存在には、日本人の米作史、里山文化史というような歴史的な意味からも、もっともっともっと、関心を持つ必要があるとおもいます。

厳しい状況に置かれてもっとも不安におびえているのは、サンショウモ自身、

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(↑ イノシシの侵入をゆるし、収穫ゼロの棚田)

そんな彼らの生存への希望!

鍵は、大切さ、貴重さをみんなに理解してもらって、みんなに協力してもらうことです。

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(↑ 耕作放棄され、草地化する棚田)

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シダ植物
サンショウモ科サンショウモ Salvinia natans (L.) All.
形態
浮遊する水草で、冬枯れする一年草。茎は伸張し、葉を対生状に付ける。それとほぼ同位置に水中に伸びる茎状器官があり、一部は根状、一部は胞子嚢となる。葉の表面には微細な突起が多生し、水をはじく。胞子には大小二型あり、秋に熟し春に発芽する。
◎参照 日本の野生植物 シダ(平凡社)284、原色日本羊歯植物図鑑(保育社)171 & 253

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京都府カテゴリー  絶滅寸前種
環境省カテゴリー  絶滅危惧Ⅱ類(VU)
近畿レッドデータブックカテゴリー  絶滅危惧種C

選定理由
昭和40年代以降激減し、府内の残存数はわずかである。現在は丹後地域に見られるだけになっている。

分布
本州、四国、九州、朝鮮半島、中国大陸、台湾、インド北部、ヨーロッパ、北アメリカ。
◎府内の分布記録区域 丹後地域、京都市域(絶滅)、山城地域(絶滅に近いが、現状不明)。
生存に対する脅威
水田への除草剤の使用、水の富栄養化。
必要な保全対策

上記の原因を排除する。人工栽培は比較的容易なので、自生地を復元することも可能である。

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特記事項
土を掘り返すと、休眠胞子が発芽することがあるので、注意が必要である。

執筆者 光田重幸

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「人工栽培は比較的容易なので、自生地を復元することも可能」 と光田先生。

この子がここから消えたら、彼らは京都府にいなくなります。

水田雑草は消えていい、それでいいのでしょうか。

、、、、、、、

「森の世界」
森には
何一つ無駄がない
植物も 動物も 微生物も
みんな つらなっている
一生懸命生きている

一種の生きものが
森を支配することの
ないように
神の定めた
調和の世界だ

森には
美もあり 愛もある
はげしい闘いもある
だが
ウソがない

『詩集 どろ亀さん』緑の文明社

、、、、、、

この詩を書かれたどろがめさんこと高橋 延清さん(日本の森林学者。 東京大学名誉教授)なら、なんとおっしゃるでしょう!。

生物多様性保全の精神は、情けは人のためならず 己がためなり!ということではなかったでしょうか。

そういう意味では、レスキューにはいった高校生たちが泥だらけになって絶滅のピンチにある生き物の声を聞き届けたことを伝える記事、これは、記者天草さんの優れた眼と京都新聞の英断と感動しています。

 

 

匏宮 !

恥ずかしながら、これも読めません、

籠神社の奥宮 真名井神社 (まないじんじゃ)の【古称】 です。

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「よさのみや」と読むそうです。

え、うそやろ!ですが、「よさのみや」。
では、「匏」の意味は、というとヒョウタンなどのこと。

そういえば、籠神社の神様は、ひょうたんにのって海からやってこられたとのこと。

そして、籠を「このもともとは」と読ませる、そのはもとはカヌー、ポリネシア語起源ではないかとも言われています。

つまり、ようするに丹後の祖先は海からやってきたもので、私たちが海を見たくなるのは、その成果もしれません。

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さて、そんなわけで、海からやってきた祖先に、丹後半島はどのようにみえたのであろか、ということを思う方にはお奨めのツアーがあります。

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 「私がはじめて丹後に来て驚いたのは、山と海の近さであった。関東平野で育った私にとっては、山と海は、広い平野で分かたれるのが当然であったが、天橋立から伊根、経ヶ岬、間人、久美浜までの海岸沿いを車で走れば、山が海に迫り、海が山を洗う光景を数多く目にすることができる。また、夏の穏やかさの一方で、冬の荒れる海に雪という厳しい環境も、この地域の特徴である。このような、複雑な地形と自然環境こそが、丹後の豊かな歴史を育んだ背景であろう。丹後に来て六年余り、地域の歴史を調べるにつれ、そう確信するようになった。」と 前丹後郷土資料館 学芸員 吉野健一さん。

「文明」は大陸からやってきた。

海には道があった。

丹後の海と山はその道の「宿場」だった。

この宿場で船を下り、内陸への旅をつづけたものも多い。

京都の海の渚に流れ着いた種たちが、根付き育って、日本の歴史の森を作っていったのは間違いないこと。 

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□募集・八人 □予定・9月20日 

□コース 日置・マリントピア発着→伊根沖→経ヶ岬 ※往復

□クルージング時間・約二時間の内容です。

□催行予定・海の状況によって二日前に判断します

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クルーザー船長は、丹後一のオペレータ・山田眞一さん。

山立てと漁場の判断などベテランならではの話も楽しみですよ。

申し込みは、0772-68-0188 株プラヂナー川内さんまで。

 

 

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