宮津エコツアー · 2月 2013

2月 2013

2013/02/15

3月3日、情報発信力講座のチラシができました。3月3日は上世屋に行こう、メールネットなど、お知り合いへの情報発信に生かしてください

講師でお願いしている京都新聞宮津・京丹後支局長の石崎さんは、エコツーリズム先進地・滋賀県高島支局にも勤務されていました。丹後の観光発展にも深い関心をお持ちの方です。この機会をぜひ生かしていただけたらと考えています。情報発信力講座案内ポスター

2013/02/15

森は海の恋人!
山と海のつながりの強さを言い得て妙。このたった三文節の言葉のまとまりが、植樹参加者毎年数千人を気仙沼に呼ぶと言います。この言葉を知ることで何かが起こるのです。じっとしていられなくなるのです。えらいことです。これが言葉の力と言うことなのでしょう。

『地域と人 伝えるしごと』、「情報発信力講座」でお話いただくタイトル。講師の石崎さんは、~言葉の力を生かそう~とサブタイトルを付けられました。

言葉は不思議な力を持っている、それは確かなことです。3月3日に期待が膨らみます。

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ところで、草野心平さんにも、そんな言葉があると言います。

「あいつが死んでからあの時のあいつの一と言が。
音楽よりもかなしく強く。
いまはおれのからだのなかでさざなみになる。」

「かおも恍惚も忘れたのにどうしてだろう。
そのひとことだけが思いだされる。」と。
「エレジー あるもりあおがえるのこと」
という詩の中にその一節はあります。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
あいつはあの時。
(そうだ。もう六年も前のことになるのだが。)
あいつはあの時。
つぶやくように言ったっけ。
美しいわ。
と。
たった一と言。

水楢の枝にしゃがみこんで。
はっぱのしげみにお尻をのっけて。
そうしておれは。
あいつの三倍も小さくすすぼけた色をしてしびれていたが。
美しいわ? なに言ってんだいとぼんやりおれは。
おっぱい色のもやのなかでわらったものだ。
眩暈するほどの現実のなかで。
恍惚のなかで。

けれどもどうやらはなしはちがってきた。
六年もたったせいかおれの考えもちがってきた。

美しいわ。
あいつが死んでからあの時のあいつの一と言が。
音楽よりもかなしく強く。
いまはおれのからだのなかでさざなみになる。
美しいわ。
の一と言が。
どうしてだろう。かおも恍惚も忘れたのにどうしてだろう。
そのひとことだけが思いだされる。

原始の林とあやめ。横倒しになった楡の古木が水に映るこんなしずかなすき透る沼から。よその土地の者等がやってきて。半分もの好きなアヴェックがあいつをバッグにつめこんで里に降りバスに乗って帰ってゆき。そうして裏の水溜りに放したそうだ。そうだということはおれたちの世界では電波みたいに分るのだ。それからあいつは鳴くことをやめ。あんなに好きなソプラノを遂いぞ歌わず。そうして生ぬるい泥っぽい水のなかでベロを出して陀仏ったそうだ。だれに出したベロ? そのベロ。
そんなこともおれたちの世界では電波みたいに分ることだ。

オリーブ色のあいつの背中。
もうあの背中から夢はもうもうとたちのぼらない。
あいつの背中にかわる背中を。
おれはずいぶん経験した。
けれどもあの時の。
美しいわ。
そんな言葉はあの時がたった一度の経験だった。
恍惚をはぎとるようなそんな余計なたわ言を。
あのさなかに。
どうして言ったか。
おれは片方の眼だけひらいて。
なにほざいてんだと言おうとしたが。
言わずにひらいた眼もとじた。
その通りでそれはよかった。
それがおれには正しかった。
けれどもいまになっておれは切なく思うのだ。
黒い点々のいもりの腹にどれだけ毎年。
おれたちの子たちはのみこまれるか。
また里につれられてったあいつのように。
どれだけ毎年。
おとなも死ぬか。
美しいわ。
とあいつが言ったその時。
あいつのからだの中から千も二千ものあいつの子たちが。
おれたちの子たちが。
沸いていたのだ。
そうしておれとあいつの共同が。
水楢のはっぱに。
子たちを包んだ白いまぶしい泡のかたまりをつくっていたのだ。
恍惚よりもあいつはその時。
生むよろこびと。
そして生もうとする意志の愛(かな)しさを。
美しいわ。
といったにちがいないといまになっては思えるのだ。

ああ死んだくみーるよ
おれはいま。
くみーるよ。
おまえも知ってる北側のあの三本目の。沼につき出た太い水楢の枝の上から。
方々にぶらさがっている電気飴を眺めている。
さっきにわか雨があって。
いまは晴れ。
あやめの紫は炎に見える。
そよ風だよ。
くみーるよ。
お前が好きだったそよ風だよ。
こんな風景なら鈍感なおれにも美しい。
お前はこんな時には。
天からもらったソプラノで。
あの古風なホームスウィートホームをうたったものだ。
いまそよ風に。
われわれの百五十もの綿飴はかすかにゆれる。
美しいわ。
お前の言葉を思い出す。
お前の言葉はなんだか生きてるような思いがする。
お前の言葉はなんだかおれに勇気をくれる。

(ああ人の声。)

人間たちが登ってきた。
生ま木のステッキなどをふりながら……。
おれはしばらくぴったりここに。
動かずにいる。
じゃ。
さようなら。
くみーるよ。

さようなら
・・・・・・・・・
17日のスノーシューウオークでは、モリアオガエルの産卵池を、森からカエルの視点で見ることができますよ。

 

ここしばらく日本海の冬独特の気候でなかなか晴れの日がないが・・・・14日晴れの日に再度管制塔まで行ってきました。
今度は帰りに林の中を歩くコースにテープをつけに・・・・

いつもは暗い植林の中は明るく前の日の雪がくっついてとても綺麗!!

植林から林道へ出ます。

落葉樹にも雪がついていて綺麗です!!

管制塔から3分くらい歩いて展望台へ宮津湾が眺めて360度の大展望!!!

落葉樹の中をテープをつけながら降りていく。

リフト終点に降りてきました。今日は遠くの山がとてもクリアに見えて福井の山々も綺麗に見えました。

向かいスキー場の左上に杉山が植林の形がイルカに見える・・・・

バンガロウ村に到着。今日も楽しいスノーシューウォークでした。
スキー場から往復5.5kの雪上ハイク、雪は童心に返らせてくれます。

2013/02/14
生きかわり 死にかわりして 打つ田かな (村上鬼城)
「目の前 にみる田んぼとそこで田をうつ人、しかしその後ろに目にみえない、家族と村落の社会学 の本質を、たった17文字の中に凝縮しているように思える」俳句だと現滋賀県知事嘉田さんが滋賀県立琵琶湖博物館 総括学芸員時代におっしゃっていました。


苛斂誅求の時代も米を納め、気象災害の時は立ち向かい、あるいはしのび、あるいは考えて道を拓き、死にかわって生き代わって田を守り一生を終えていった里の人たち。世屋の里の場合、慶雲上人に率いられた一団による開村を704年としています。現在2013年、その間1300年余、一代20年としたら、世代の数、60代!「目に見えないけれどあるんだよ」とおっしゃっているわけです。

おためさんもその一代を担った一人。そのおためさんが、根付け籠もりや雨乞いのことをかたってくれました。

「かみせやのお観音様は、ようねぎゃあごとをきいとくれる値打ちのあるおかんのんさんだわなあ。
【根付け籠もり】
田植えをすませたら、根付けごもりゆうて、ぐあいよう根をつけてもらうよう二晩籠もって頼んだんだ。女は、お宮さんには参られんで男ばっかり、女はご飯を炊いてもっていくだけでした。


【雨乞い】
それから、お観音さんに、雨をおくれゆうて頼んだら、おくれた。雨乞いの時は、朝はお宮さん、午後は観音さんで、お千度をあげたんだ。お千度ゆうのは、竹を割って、盆踊りみてぃゃあに輪になって、中にコモをして、その上に年寄りがおって、そこへ竹を10本ずつ、千本になるまで投げるんだ。それを年寄りが数えておって、千本になったら、ほい、もうええど、ゆうて教えただ。
それでもあかんときは、太鼓をもってあがって、それを雷の代わりに、火をたいて稲光りのかわりにし、青年が滝の上に上がって、そこに木で堰を作って、裸になって水を村中へほくっただ。だ、おっさんは観音経を詠み上げとるだ。最後にその堰をどおっとながしただ。そうしたら、じきに黒雲がわいてきて、雨が降ったもんだで。それだけは重宝に不思議にようきいとくれたもんだ。」
(1975, 上世屋小中 育友会誌)

1300年余の時を、米作りと「お観音さん・お宮さん」は、しっかりと結び合って旅してきたのです。

2013/02/14
3月3日に開催する「情報発信力講座」のお話のタイトルを、『地域と人 伝えるしごと』~言葉の力を生かそう~ と講師の石崎様より戴きました。
発信者になることが容易な時代になっています。エコでも、グリーンでも、ブルーでも ツーリズムは発信と受信が決定的に大切。大変有利な条件が整ってきています。


しかし、その発信が受信されて幸せな縁が生まれる! かと言うことになると話しは別。この講座では、日々、鋭い目や耳をもって社会の様子を見、声を聞き、そして口となり手となって、情報を発信されている現役新聞記者さんの現場を披露していただきます。
地域の暮らしや自然が発する情報、その発信が受け止められて、また返信が届く、そんな豊かな関係が生まれれば、地域のツーリズムはさらに発展するのではないでしょうか。
「地域と人 伝えるしごと」に関わっておられるみなさん、3月3日(日) 上世屋へ行こう (^.^) ぜひご参加ください!

■講師
石崎 立矢氏(京都新聞社 宮津支局長・京丹後支局長)
■演題
『地域と人 伝えるしごと』~言葉の力を生かそう~

■日時  2013年3月3日(日) 午前10:00~12:00 後 軽食
■会場 宮津市上世屋 「合力(こうりょく)の家」

【参加料金】 1,000円 (軽食付き)  お話の後、囲炉裏のそばで、上世屋のお昼をいただきます。
【募集人数】 20名
【参加受付】 3月2日(土)まで
【申込先】 次のいずれかへ、参加者氏名、住所、連絡先 を明記して、申し込みください。
・ 宮津市エコツーリズム推進協議会 事務局 ℡:0772-45-1625
・ 同上 世屋・高山ガイド部会 (担当 安田)  ℡:090-7346-4639
・ 天橋立ユースホステル   ℡:0772-27-0121
・ 琴引浜鳴き砂文化館 (京丹後市)      ℡:0772-72-5511

 

 

 

2013/02/14

俳句では春に当てられる季語に「はだれ」と言う言葉があります。「班雪」と書きます。

意味は、不規則に解けた雪のマダラ模様。

雪は一律にはとけません。、不 規則なまだら模様になります。  地面のわずかな 凹凸や草の加減等、地面の環境によって 雪の融けるスピードが異なるからです。

ただし、「はだれ」とうちこんでも、パソコンは漢字変換しません。情報が入っていないのです。難読漢字の一つです

世屋の棚田でも春のしのびよりを語りたげな、「班雪・はだれ」模様。

「足跡のなき斑雪野に遊びけり blue.ap.teacup.com/819maker/1009.html -」などと用いられます。

 

募集:早春の世屋高原 春のいぶきを訪ねて「かんじきでスノーハイク」

早春の世屋高原 春のいぶきを訪ねて   概要 春の足音を感じ早春の世屋高原で、豊かな自然にふれながら […]...
詳しく見る

静かな天橋立海岸に打上げられていたホンダワラ科ジョロモク 全長4m超え

近年話題のアカモクよりは浅い水深に生育。宮津市養老の藻場では全長4m以上にもなるようですが、これはどこから流れ着いたものでしょうか。

京都府水産事務所の専門家にお聞きすると、ジョロモクは気泡が長い俵型で、成熟が始まると葉が落ちやすく、軸だけになり髪の毛のように見えるのが特徴とのことです。

 

「お知らせ」

2/17 丹後あじわいの郷でアカモクなどの加工体験もできるようです。

 

2/7 濃松海岸の打上げジョロモク全長 4m以上

2013/02/13

新潟県上越市には、レルヒ少佐がゆるキャラになっているとのこと。

「常に何かを企んでいるが、基本的にお人よし。やや照れ屋だが、おだてられると調子に乗る一面も。子ども好きだが、女性には弱い。教えたがりでおせっかい。スキーは上手だがやや本番に弱い傾向もあり。特技:一本杖スキー」という人物設定をもとにイメージしたそうです。

さて、日本スキー史100年      outdoorjapan.com によると、
・・・・・・・・・・・
「1911年1月12日。オーストリア=ハンガリー帝国軍のテオドール・エドラー・フォン・レルヒ少佐が金谷山をスキーで滑走し、日本におけるスキー史の幕を開いたのだ。

それまで雪山を滑る文化がなかった日本の軍人達にとって、ひとりで雪山を登り、さっそうと滑り降りてくるレルヒ少佐の姿は、宇宙人が空からやってきたかのようなインパクトを与えたであろう。

事実、その姿を目の当たりにした軍人達は両手をあげ、『万歳!』のコールで彼を迎えたという。」

そのスキーが上世屋にやってきたのが、1913年2月のこと。日本伝来12年後のことです。日本の軍人達がうけたであろう「宇宙人が空からやってきたかのようなインパクト」は上世屋でも同じ。上世屋の人は「テングが山から降りてきた」と表現しています。

(↑写真 outdoorjapan.com )

さて、上世屋の雪は北海道と同じ、関西有数のスキー適地と認めてくださったのが、直接レルヒ少佐から指導をうけた、当時高田中学校教頭中山再次郎氏。むらは、その後、スキー立村へと大きく動きました。当時の様子を小川元吉さんは次のように語ります。

「2013年2月、丸山万作先生が木子からスキーで行程に降りてこられ、村中の者が初めてスキーというものを知った。ほどなく京都二中校長、中山再次郎氏がこられ、寺に泊まられ、成相、鼓が岳、官林、霧奥地、檜尾、中畑、三本松、しょぶ谷、岳、大清水、木子峠、汐霧など調査せられて、

丹後の北海道と折り紙を付けられ、スキー場開発を宣伝されるので、区長所も何かと力を入れずにいられないことになった。学校へは十台のスキーの寄贈品が届けられたが、家では、子どもにせがまれた親たちは、竹製、木製のスキー作りでおお忙しやが始まった。14年には、青年も、飯山式、ノルウエー式で七、八台区の補助をもらって購入し、練習に余念がなかった。」(「高原の碧晶」)

スキージ場として、整備された地を歩きました。

林に経過したであろう時間を70年ほど巻き戻してみると、斜面としても景観としても絶好のスキー場だったことが確認できました。耳を澄ませば雪と戯れる歓声が聞こえそうでした。
それにしても、初めて目にしてから、瞬く間に和製のスキーを作り上げてしまう里人のすごさ。伝来した鉄砲を模倣して作り上げた鍛冶師を彷彿とさせるじゃありませんか。
また、スキー発祥の金屋谷を持つ上越市と上世屋とは、レルヒ少佐の縁につながるじゃありませんか。
宮津市と上越市、赤い糸で結ばれています(^.^)

ところで、スキー選手に「清水礼留飛」という選手名がテレビに出ていました。このかた、「レルヒ」と読む?(^.^)

2013/02/13
ははそはの母の国かもふるさとの丹後の山は今日も押し照る

(↑ 2.12)

この歌には、植物の古語がひとつあります。「ははそ」 コナラのこと、重要な薪炭材で、世屋では、「ほうそ」   と発音します。 同音の反復で、リズムを整える枕詞で、「はは(母)」にかかります。ちなみに、父にかかる枕言葉は、「ちちの実」。これも植物で、銀杏のこと。
「ちちの実の 父の命(みこと) ははそ葉(ば)の 母の命 、、、、」 大伴家持。と用いられます。
また、「押し照る」は、一面に照り光るの意の古語。
さてここで、この歌は 万葉集巻何番か、と問われたら、18番などと応えかねない、そういわれたら納得しそうな歌風ですが、作者は澤潔さん。

(↑ 2009,12.17)

丹後の山は やさしい尾根を持ち 温かく落ち着いた風情が特徴です。その山に光りが当たって、なんと美しいことだ、これが私の国だ、母の国丹後だ、いつまでも栄えておくれと。


カメラが待つのも、こういう瞬間です。シャッターを押させるのも、こんなきもちです(^.^)

ちなみに、「押し照る与謝の海」

(↑ 2.12)

 

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