宮津エコツアー · 3月 2015

3月 2015

日置のYさんのお庭で春の花。

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ミツマタはジンチョウゲ科、樹皮はお札の原料。ちょっとミツマタ君にインタビュー!以下そのまとめ。、、、、、、、、、
土壌を選ぶということで産地は高知 岡山 鳥取など。「みつまた皮」といわれるまでにして出荷ということです。みつまた皮というのは、黒皮から白皮(さらし皮)に調製したもの。 刈り取ったみつまたの原木を蒸して皮はぎし乾燥したものを黒皮。黒皮には  表皮、緑皮がついていて、また繊維は泥のようなものを含んでいますので、取り除かなくてはなりません、「剥皮器」という道具を使います。傷のある皮も見つけて切り取ります。さらに、それを水でさらします。これを「浸せき」というそうです。それは「水がきれいということと日当たりのよいこと」という条件が必要ということ。色素など繊維中の不純物を太陽光線と水中酸素が協同して解かし去ってくれるのだそうです。~だから、紙漉き産地が限定されるわけです、ただし、目的用途によって色素がのこっていたほうがいいという場合もあり、それは日に当てないのだそうです。~こうした処理を終えて乾燥させたものが、みつまた皮。、、、、、、、、、

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ゆーあんだーすたんど?

雛の日や のたりのたりの 与謝の海 !世屋野蕪村

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宮津見性寺に三年あまり居られた蕪村さんのお世話したおゆきさんは漁師の娘、在所は対岸府中の里。
「春の海 ひねもすのたりのたりかな」は、このころの句だといいます。
蕪村さんのみた「のたりのたり」はこのアングルだったかも。

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え!

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ふ゛そんさん?

今年の世屋の里は雪解けか゛早い!

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フクジュソウが咲きましたよ。

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ワサビも。

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フキノトウも。

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いずれも春告げ花。人との関わりでいえばアブラナ科のワサビは、食用可。属名ワサビア・小種名ジャポニカ!日本を代表する山菜の中の山菜で、花も葉もテンプラにするとそば屋「まるたん」のマスター!  しかし、キンポウゲ科のフクジュソウはアドニンという成分を持っていて毒草、間違っても食べてはいけません。また、フキノトウは中間。食用にはするけれども、しっかり灰汁抜きをしてから。また、地下茎は毒、という記述があります。、地下茎まで誰が食べるかと思いましたが、それは間違い、飢饉などの歴史の中では辛い出来事があったのでしょう。

京都府景観資産をみながらトロンボーンを吹き、春を歓迎するカエルたち。

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いよいよ、彼らのシーズンです。

さて、  「春されば まづ咲くやどの 梅の花 ひとり見つつや 春日暮らさむ」 とは山上憶良さん。ところで、この歌の梅は紅白どちらの色の花なのでしょうか。憶良さん、「まづ咲くやどの 紅い梅」「まづ咲くやどの 白い梅 」とかにしておいてくれたらよかったのに。まさか、後世に自分の歌の花の色が問題になるとは予想だにされることではなかったのしょうけれど。
もっとも、「梅は三毒を絶つ」つまり食べ物の毒、血液の毒、水の毒を抑える効果を持つとされる梅干しは兵士が携帯したものといいます。梅は兵器として中国から移入されたのでしょう。ですから花の色を楽しむというのは二の次のことだったのでしょう。時は戦世。優れた官僚だったおくらさんの頭の中には、別の思いか゛巡っていたのかも。
一方、こちらの方ははっきりしています。
木の花は!と清少納言さんが「枕草子第37段」であげた早春から春にかけて木に咲く花たち。トップバッターの梅については、「こきもうすきも紅梅」と彼女の立場は明確。多少うすめでも「紅梅派」。よほど冬の寒さには懲りたということなのかも知れません。冬に引導を渡すのは白より紅ということなのでしょう(^.^)。いずれにしても、戦世を離れて純粋に季節を楽しんでいらっしゃいます。ちなみに、春の木の花、「桜 藤 橘 梨 楝(あふち)の花」と論評が展開されていますよ。

羽釜炊きのご飯

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このご飯が食べられるのも、
由良ミカン入りの大福

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これが食べられるのも
火、火のおかげ!

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今回は、その火を木と木の摩擦によって起こそうという趣向。木の湿り気を蒸発させ、熱を木の中にためていくと160度くらいから煙が出だし、発火するのはおよそ230℃といいます。とはいうもののそれが容易ではない!

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今回は、230℃に達することはできず(´・ω・`)マッチのお助けを借りました。現代式マッチの発明は1855年、それがたいへんな発明であることをあらためて認識。
そうした火の神様に感謝するセレモニーを経て食いくワークショップに。

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雪の下で世屋の冬を過ごした野菜たち!

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これらが世屋味噌とコラボして豚汁に。

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世屋の大地で3年育てられたイモがコンニャクに。丹後のお米とアズキと粟と由良のちいさいのて゛商品に出来ないミカンが大福に。

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人の知恵と技と自然の葛藤と闘いの末に生まれた美しいハーモニーを聞くことが出来た充実のひととき。

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さて、このイベントをしかけたのは、グリーンバレーズ。子どもたちを自然を楽しみながら自然と人間の関わりの世界へ誘うことも目標にしました。だれがつくったのどこでつくったのどうやってつくったのなぜこれを食べるの、、、食の丸ごとの体感を通して感謝と畏敬と科学の種を播くこと。

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けれどもそれは表の目標。裏目標は「飽食」は幻の特権!幸せを等しく享受出来る地球、そのためにしなければならないことはなにか、、、大人たちが「人間とは何か」をもっともっと深く深く問うこと。

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( ↑ キャベツを植えるkさん)
このイベントを「やるべき」だと促してくれたのが、じつは谷川俊太郎さん。

「成人の日に」という詩で、俊太郎さんは、こう語ります。
・・・・・・・・・・
人間とは常に人間になりつつある存在だ
かつて教えられたその言葉がしこりのように胸の奥に残っている
成人とは人に成ること
もしそうなら
私たちはみな日々成人の日を生きている
完全な人間はどこにもいない
人間とは何かを知りつくしている者もいない
だからみな問いかけるのだ
人間とはいったい何かを
そしてみな答えているのだ
その問いに
毎日のささやかな行動で
人は人を傷つける
人は人を慰める
人は人を怖れ人は人を求める
子どもとおとなの区別がどこにあるのか
子どもは生まれ出たそのときから小さなおとな
おとなは一生大きな子ども
どんな美しい記念の晴れ着も
どんな華やかなお祝いの花束も
それだけではきみをおとなにはしてくれない
他人のうちに自分と同じ美しさをみとめ
自分のうちに他人と同じ醜さをみとめ
でき上がったどんな権威にもしばられず
流れ動く多数の意見にまどわされず
とらわれぬ子どもの魂で
いまあるものを組み直しつくりかえる
それこそがおとなの始まり
永遠に終わらないおとなへの出発点
人間が人間になりつづけるための
苦しみと喜びの方法論だ

・・・・・・・・・・・・・・

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食いく、、、は大人や子ども共通の「人間とは何か」を考える窓、原点だよと。
「他人のうちに自分と同じ美しさをみとめ
自分のうちに他人と同じ醜さをみとめ
でき上がったどんな権威にもしばられず
流れ動く多数の意見にまどわされず
とらわれぬ子どもの魂で
いまあるものを組み直しつくりかえる
それこそがおとなの始まり」

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(↑ 高山 山頂で 長岡緑の少年団のこどもたち)

谷川さんは、次回の実施を「求め」ています。

※この取り組みは京都府食いくの種交付金しえん事業の助成を受けて実施することができました。ちなみに、この事業は、平成26年9月12日(金)から、京都府内において、食育を実践する農業者や食文化の伝承者、学校・保護者等の食育実践者が連携して取り組む食育事業を対象として育成を図るという目的で募集されたもの。こ゛支援くださいました皆様にこころよりお礼申し上げます。

 

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