宮津エコツアー · 海に橋立つ!~波見の朝日~

海に橋立つ!~波見の朝日~

、、、、常世の島に姿を現された日輪様!

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波見沖の冠島方向から昇る朝日に照らされ、岸に向かって伸びる光りの帯をみて、橋とは、常世と現世とを結ぶ橋と考えることが許されるなら、その橋が立つとはこれではないか、と思いました(^.^) 天の橋立は、伊射奈芸命(いざなぎのみこと)が天に通うために 梯子を作って立てたため「天の橋立」といったが、大神が寝ている間に倒れて現在の姿 になった(丹後国風土記逸文)、とされる!神代の昔のこと。しかし、今のような砂嘴は、  「縄文時代の後氷期(完新世、約6千年前)に急速に成長し、2~3千年前に地震により大量に流出した土砂により海上に姿をみせ、有史時代に現在の姿にまで成長したとされる」ウィキペディア『天の橋立』ということです。ですから、神代の昔、このような砂嘴は発達していなかったのです。としたら、天と地とを結ぶと考えられる自然現象とすべきでしょう。 籠神社は天照大神が4年ご滞在されたことから元伊勢とも呼ばれます。天照大神のその旅は何が目的だったのかについて、天と地を結ぶ地を選定するためであったという説があります。 旧約聖書の創世記    「エデンの園の東に、ケルビム(=知恵の深い精霊、日輪の形象)と自転する剣の炎とを、神は置いた」(第三章二十四節)※伊勢白ペディアRSS  つまり、エデンの園探しの旅。 海人族にとって天とは水平線の彼方にあるとのことです。

今日、天の橋立と表記するところの「あまのはしだては」は、「海橋立ともいって、別に海浮橋あまのうきはし」という古伝」もあった」と元伊勢籠神社発行の『元伊勢籠神社御由緒略記』にあります。日本には海が二つあります。太平洋から昇る日輪を拝む地に最終的に落ち着かれたのですが、もう一つ、日本海から昇る日輪を拝むことができる地も有力候補として検討されていたため、滞在が4年という長きに渡ったのではないでしょうか。

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いずれにしても! 、、、なんだか空恐ろしいことをいっているようですね(^.^)

高峰神社さん、橋か剣かはたまた、、ほんとのところはどうなんですかぁ?

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、、、、真夏の夜の夢!じゃ、、、、

「僕は、毎朝比叡山に向かって祝詞(のりと)を唱え、般若心経を唱え、各種真言を唱え、石笛、横笛、法螺貝、太鼓、鈴、そういうようなものを演奏します」  京大の鎌田藤治さんのお話です。
※私の聖地発見h-kishi.sakura.ne.jp/s-11.htm

朝日を拝みながら、高峰神社で石笛、横笛、法螺貝、太鼓、鈴  を演奏し、太陽信仰の行者さま、宗教家の皆様に協力いただいて、、、こういうのはどうでしょう(^.^)

「ヘミ」「ヘビ」と ハブが 親戚だとすれば 波見と氷見が濃い親戚だとは容易に想像でき、氷見は日を見るであったろうと想像することも許されるであろう。、、、、どうなんでしょう(^.^)

これをきっかけに新説、珍説、奇説、、乱れ飛べば、これから波見は、店が出るほど朝日撮影のスポットになるかも。

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