宮津エコツアー · 花の色は 移りにけりな!の「色」の意味

花の色は 移りにけりな!の「色」の意味

雅な駅舎・京丹後大宮駅に、小町さん賛歌の看板。

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「長雨に桜花の色は移ろい、、、、」花の色はあせてしまったわ、、、

フム、、、、 気持ちはわかるんです。

しかし、私はこの解釈に、納得しません(^.^)、

百姓は、百色の仕事をこなさんならんので百姓というんだというのは世屋の畏友0君。

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(↑ 撮影日時 2015/04/13 18:08:53)
色というのは、カラーの意味だけでなく「反省の―が見られない」  「敗北の―が濃い」「―とりどり」 「大会に―をそえる」のように使われて、、百姓の百色の仕事とは、稲刈り田植え、縄ない、田起こしなど仕事の「種類」という意味で使われているのです。

それを前提にして、さて、
「花の色は 移りにけりな いたづらに 我が身世にふる ながめせし間に」

問題と思うのは、歌の「色」、これの解釈!

カラーと解釈すれば、その花はなんだと言うことになり、それは桜だ、いや、平安時代前期までは花といえば梅だ、と議論されています。その延長線で、自分の容貌のことだという解釈も。

一方で、色が「種類」という意味ということになると、種類が移ると言うことになり、ある花が別の花に代わるということになります。
小野小町の立場から思えば、彼女の一生は、容易な世渡りではなく、権力の衰亡に翻弄されたものだったはず。色とは時代の色、時の権力者。自分をかわいがってくれた殿の勢いが衰えてしまったと。花とは、藤の花なら藤原家、 新幹線で沸く加賀の前田さんは菅原道真の子孫と称して「梅鉢紋」。橘氏なら橘紋、、、権勢家がそれぞれもっているシンボルフラワー、家紋のこと。

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(小町公園)

私の解釈は、後者のほう。
小町さんほどの歌人が、自分の容貌の変化と花の色の変化とをかさねたなどと読んでわかるような安易で気楽な歌を詠むとはおもえません。だいたい、梅も桜も咲いている間に色か゛変わることなどありません、散っても一枚一枚の花びらの色はかわりません。あちらにもこちらにも気を使い神経をすり減らしているうちに、容貌も衰えおいてしまったことです、と嘆く一方、でも、悔いてはいませんですことよ、と自負もうかがえて渾身の人生歌と理解するのが小町さんの気持ちに添うことになりはしないでしょうか。

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看板の解釈がネット解釈の引用だったら、受験前の高校生も目にする看板、小町の町京丹後の市民としては納得できないので、あえて投稿しました。

ご意見くださればありがたいです。

とろで、その花

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(↑ にゅうどうとうげ 17日)

桜でいえば、ソメイヨシノがおわり、八重桜へと移りました。

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