10月の野で何が美しいといってもミゾソバ、
この群生に優るものはないと私は思います。棚田跡のすすきを刈り払うとわぁーと咲きました。
さて、みぞそばが、土方歳三と新撰組に、深く関わっていたことをしる人は少ないでしょうね。
土方歳三の生家って、家伝の薬、民間薬を製造、販売していたんです。
名前は石田散薬。散薬とは粉薬。石田は日野町石田にちなんで。その原料がミゾソバ。今でこそ標準語ですが、その当時その多摩地域では「牛革草」と呼ばれていたとのこと。
製法 原料採集→天日乾燥→黒焼き→酒を散布→再乾燥→薬研で粉末に。
効能は打ち身ねんざ、労咳にも効くというので名前をかえて「虚労散薬」という製品も。
土方歳三はそれを売り歩き、その先で剣術道場へたちよっては腕を磨き、新撰組に入ってからは、結核を病んでいた沖田総司にのませ、幕末の花と散った隊士たちの治療にも用いたということです。
この薬、昭和二十三年頃に製造停止。薬事法によって調査実験した結果、飲んでも害は無いが、有効成分は認められない、無害だが無効という調査結果が出されたからといいます。
河童明神のお告げだとか蝦蟇が夢枕にたったとかいうのが土方家で製造することになったきっかけ、ミゾソバは水気の多い栄養豊かな土壌を好む贅沢物。その桜色の花園に、神秘なパワーを感じたことが夢になったのでしょう。病やケガは神仏にすがるしかない状況の中で生まれ医学の発達とともに消えていった家伝の民間薬、効能成分は認められなくても、そうだと信じ治そうと念じて服用すれば実際に効くこともあるんだそうですよ、「ダミー薬」効果といって、実際に効いたのかもしれません。
ミゾソバや新撰組のときの声 世屋野蕪村