「主峰をなす東壁の絶顛は、孤高を誇るかのように、北天の空に巍然と屹立し、奈落の谷底に墜ち込むような、妥協を許さない孤影がたまらなく私を惹きつける。」
これは、澤潔さんの名著「丹後の地名語源の研究」でのいちがおの山容表現。澤さんは、「絶え間なく汗を流して歩くという無償の営為こそ、山旅の究極」とも。一度は登りたい山関西百名山、いちがおが、六月の里山ぐらんでぃんぐっコースです。
それにしても、この切り立つ山は、人には優しくありません。 「むかしむかし、吉永のお寺で盆踊りがありました。その時、一度も見たこともない若い男の人がいました。みんな不思議に思いましたが、だれも、どこの人か、知っている人は、一人もいませんでした。次の日も、盆踊りにその男の人が来ました。村の人たちは、その男の後ろからついてどこへ蛙か調べてみることになりました。細い山道をどんどん登って、依遅ヶ尾の近くまでくると、大きながまが谷というところに、堤がありました。男は、その大きな堤に、とびこみました。すると、みるみるうちに、大きなへびになってしまいました。姿を見られたへびは怒って、次の朝、大雨を降らせました。堤の堤防が壊れて、依遅ヶ尾から、多くの土砂が吉永の村に流れ込み、村はうずまってしまいました、、、」 この怒ったへびの起こした土砂崩れは、「依遅ヶ尾には大蛇が住む」という話に繋がって、そのおろちが麓のお宮の巫女に惚れ、炭のような真っ黒い雲にのって会いに来る、それが210日ごろだという話になっていくという話も伝わっています。※「丹後町の民話」丹後町教育研究会
この山は、大陸プレートと太平洋プレートとの関係で、2000万年前から始まり約1000万年も続いた活発な火山活動の時期を違えた噴出が合体した形なのだそうです。 さて、「いちがお」、その「いち」については、「い」も「ち」も、古語では神聖を意味する言葉であるという切り口から諸説あり、澤潔氏の丹後地名の旅中をご覧ください。地形的にみれば、「ち」はあちこちの方向、方角を指す「ち」ランドマークとしての優秀さを取れば「位置ヶ尾」、あるいは、山塊にあるいくつもの尾のうちもっともたかい尾を「一ヶ尾」と呼んでいた、それが山塊全体の呼称となったと考えられるかもしれません。
道にはウツボ草、けんぼナシ、マタタビの花が見られます。オーガニックライフクラブまでお申し込みください。