National Flower Koreans have loved the rose of Sharon for centuries.
国花 韓国人は、何世紀もの間、むくげの花を愛しています。
According to records, Koreans have treasured the rose of Sharon as a heavenly flower since ancient times.
記録によると、韓国人は古代から天国のような花として、ムクゲを大切にしてきました。
The rose of Sharon blooms from early July through late October.
ムクゲは7月初旬から10月下旬に咲きます。
ほほう!
「京都市立西院中学校 ハングル語講座の締めくくりにと韓国の国花「ムクゲ」の植樹もしました」
長く深い韓国や北朝鮮と日本の関係があります。政治的な駆け引きに明け暮れ、いっこうに改善する兆しのないあきれた事態がある一方、教育の世界では、美しい試みが地道にアイデア豊かに試みられていることに希望を感じました。
国花を謳った国歌も、教わられたのでしょう、その国歌の訳(非公式)
1. 東海(日本海を指す)が乾き果て、白頭山が磨り減る時まで(=永遠に有得ない事の譬え)
神の護り給う我が国、万歳(=万年永久に)
コーラス
むくげの花(無窮花=韓国の国花)、三千里(3000朝鮮里、朝鮮半島の北から南までの長さ即ち韓国全土という意味)、華麗な山河、
大韓人(韓国人)よ、大韓を末永く保全せむ(韓国を永遠に守ろう)。
2. 南山(首都の山という意味)の老松が鉄の鎧を纏った様に、
風霜の変わらざるは、我等の気性なり。
(コーラス)
3. 広い秋の空が雲一つ無く澄み渡り、
輝く月は、我等の精神、一片丹心(誠実な心)なり。
(コーラス)
4. この気性(=2番で歌われたもの)とこの心(=3番で歌われたもの)で忠誠を尽くし、辛くとも、楽しくとも、国を愛さん。
(コーラス) 上記は非公式訳。
韓国の市民権を得るための試験のひとつに、「愛国歌の1番を(何も見ずに)歌う」という項目がある、、、、嘘か本当か?
本当なんだそうです。日本人は 春の桜で洗脳されていますけれど韓国は夏のムクゲを叩き込む、、、
これは興味深いことです、、、、
夏草に埋まる棚田と里山の荒廃を救うのは、桜ではなく「ムクゲ」かも、、、。
さて、このムクゲの花に関して、も一つ感動の記事。、、、
「散歩道できれいなムクゲの花を毎日見る季節になりました。7月から10月頃まで、白・桃・赤紫色の花を咲かせ、観賞用として庭にもよく植えられています。漢字では「木槿」「無窮花」と表記され、「ムクゲ」の音はその漢字表記によっていることがすぐわかります。一般には朝に花が開き、夕には花がこぼれてしまう「一日花」と説明されているようですが、よく観察すると夕には萎みますが翌朝にはまた咲いて、2~3日で花が落ちます。ただし八重咲きのものは、もう少し長く咲いているようです。一日花という理解は、白楽天の詩の一節「槿花一日自成栄」(槿花は一日で自ら栄を成す)が、本来は「仏法が瞬く間に広まった」という意味であるのに、それを「槿花一日の栄」と誤解したことによるということです。
このムクゲという花は、日本人にとっては愛すべき多くの花の一つに過ぎませんが、韓国では国花とされています。また現在国花になっているというだけではなく、古代以来民族の象徴として大切にされてきたそうです。日本の桜に相当する花と理解すればよいのでしょう。新羅では唐に送る国書の中で、自らを「木槿国」と称したことが、『旧唐書』に記されています。李氏朝鮮の時代には、科挙の合格者に対して国王が「御賜花」と称して無窮花を授け、国王が臨席する宴会では、無窮花が飾られました。日本の統治下においては自主独立の象徴となり、無窮花の植樹運動が各地で行われました。日本人の官憲はそれを禁止し伐採を命じましたが、朝鮮民族の無窮花に対する誇りまで奪うことはできませんでした。
1948年8月15日に制定された韓国国歌「愛国歌」には、「無窮花三千里(北朝鮮の北端から韓国の南端まで)、華麗なる山河、大韓人よ、大韓を永久に保全せよ」と歌われています。
また韓国の最高の勲章である「無窮花大勲章」は、大統領に授与されるそうです。私は韓国人ではないのでそれ以上の例を知りませんが、ムクケ゛が民族の花として尊重される事例は、もっとあるのでしょう。
日本人は桜の花が一斉に散ることに風情を感じていますが、椿のように花がそのままの形で落ちてしまうことを、首が落ちるように感じて忌み嫌います。病気見舞いには、椿は持って行ってはいけない花なのです。無窮花の花は、一つ一つの花の期間が短いだけでなく、花びらが閉じてはいますが、椿のようにそのまま落ちてしまいます。日本人の伝統的美意識からすれば、無窮花に対する好みが分かれるところでしょうか。しかし韓国人は全く異なった見方をしています。一つ一つの花が咲いている期間は確かに短いものです。しかし次から次に新しい花が咲き、途切れることなく長期間にわたって咲き続けます。韓国人はそこに生命力の強さと美しさを感じているのです。ここで桜と無窮花の優劣を比較することは、全く無意味なのです。日本人は桜に感動し、韓国人は無窮花をことのほか愛でる。それでいいのです。
埼玉県の地元ネタで恐縮ですが、埼玉県の日高市には高麗神社というユニークな神社があります。716年(霊亀2)、駿河・甲斐・相模・上総・下総・常陸・下野の7国に住む高句麗からの帰化人1799人を武蔵国に移して、高麗郡を新設したことが、『続日本紀』記されています。彼等の指導者であった高麗王若光の没後、人々はその遺徳を偲んで祀ったのですが、これが高麗神社の起源となりました。この高麗神社はその特殊な来歴によって韓国人の参拝者が多く、境内には無窮花の木が何本も植えられています。また私の家のすぐ側にある吉見の百穴には、戦時中地下の軍事工場を建設するため、多くの朝鮮人が徴発されたと言われています。そのため、やはり無窮花の木が記念として植えられているのですが、それらの無窮花の意味する所を知っている日本人は大変少ないのです。
平成23年8月、日本の国会議員が竹島問題に関連して、視察のために韓国に入国しようとして拒否された事件が起きました。その際、鬱陵島にある「独島博物館」の敷地内に、「対馬は元わが国の領地」と刻んだ石碑があることが広く日本でも知られ、驚いたものです。そういう動きに呼応するように、最近は対馬に多くの韓国人観光客が押し寄せています。そして中には島のあちらこちらに無窮花を植樹する人もいるそうです。実際韓国には、対馬を無窮花でいっぱいにしようという運動が起きているそうです(未確認)。韓国資本が対馬の土地を次々に買収し、無窮花を植えていくことの意味を、日本人はあまり気付いていないように思います。
戦後ですが、日本の象徴である桜が、韓国で伐採される受難がありました。日本もかつて無窮花の植樹を禁止したことがあるのですから、これについてはお互い様かもしれません。しかし最近は少し様子が違っているらしい。韓国ではあらゆる日本文化に対する韓国起源説が強烈に主張されることがよくあるのですが、「桜は韓国起源」「桜は日本の花という主張は間違っている」という主張をよく耳にするようになりました。こういう話を聞くにつけ、本当に悲しくなってきます。どちらが起源であるといって、それが一体何なのでしょう。日本人は日本人の価値観で桜を尊び、韓国人は同じように無窮花を大切にする。お互いに尊重しあって、それでよいではありませんか。私は韓国にことさらに桜をうえようとも思いませんし、無窮花の木を切り倒そうとも思いません。それぞれの風情をそれなりに楽しんでいます。
追記
先日、埼玉県日高市の高麗山聖天院に見学に行きました。このあたりは高句麗の帰化人たちが入植し、716年に高麗郡が置かれたところです。そして聖天院はその族長であった高麗王若光の菩提寺です。そのような歴史的背景から、境内には、日韓併合から独立までの36年間に亡くなった、韓国・朝鮮人の無縁者供養塔が建てられています。それに隣接して三・一独立運動のときにソウルのパゴダ公園で独立宣言書が読み上げられた八角亭を縮小した建物が建てられています。その軒丸瓦にはっきりと無窮花の花が浮き彫りになっていました。今まで見落としていたのですが、やはり意識していないと、価値のある物を見ても見過ごしてしまうものだと、改めて思ったことです。」2015-06-24 10:24:22 の記事