宮津エコツアー · 船屋の里、ガイド研修記 一部

船屋の里、ガイド研修記 一部

2013/01/21
伊根の里と世屋の里はともに「日本の里100選」の里。
そして、ともにガイドウオークを展開中。海の里伊根のガイドさんたちは、何を押さえてどのように組み立てられておられるのでしょうか、1月18日、船屋の里で研修させていただくことができました。
一部 各駅停車で伊根行き!

目的は伊根。 けれども、ちょっとちょっとといろんなものから声かけられるもんで  寄り道、寄り道の各駅停車。

まず山!

(↑ 五十河から内山 世屋と伊根はこの尾根の向こう)

そして海。江尻から雪雲の若狭湾。右は栗田半島。画面左側奥に伊根。そこへ行きます!

さらに寄り道、日置中の「日置世屋図絵」と世屋の山。

それにつけても、雪山の上の雪雲の厚いさよ。この雪雲は、作り物ではありません、

北西から南東へと動いて海を包みます。

ひとしきり、粒雪をばらまいて雲が切れると、再び青空。

穏やかな波が寒波の峠は過ぎたことを物語っています。

(長江海岸)

岩ヶ鼻から、大島の旧道。こっちへ来いと誘います。そうです、「エコツーリスト」はこちらへいくべきです!

海のテトラに憩うカモメたち

ふりかえれば、せんごくやま・千石山(312m)。なでなでしたくなるおかっぱ頭。

江戸期の地誌(丹哥府志)は「畑地として利用され、黍・豆の年収穫高が1,000石にのぼることからその名がある」としているとのこと>「ごく」の音を「石」と理解した説。だが、「曲」と理解する説もあります。澤潔さんは、羊腸の山箱根を越えるじっこくとうげの例をだしてこの説。ヒントは「神奈備型をしていて、神のいます大和の三輪山のようなかんじのする好ましい山」との感想にあるのでしょう。伊根は、クジラを台帳の記録にあるだけでも、350頭、澤先生はこの山の山頂は魚の往来を見張り、神を祀る聖なる場所だったのだろうとおっしゃっているのです。山頂へは直登するのでなく、幾曲がりする山道が着いていたに違いないのです。それで、千石は「千曲」。

思いを巡らしていると、崖の網の中から、おもしろいと。

え、君君。ナデシコ。

到着、12;30

集合は1時半。少し時間があります。先ずは、船屋撮影。

舟屋は舟の庾、漁具置き場です、その数が半端ではない、立ち並ぶ舟屋の数は230軒あまり。

写真愛好家を引きつけて止まないポイントに立つと、重要伝統建造物群保存地区の迫力が伝わってきます。

※ 続きは、研修記 二部をご覧ください。ついでに京都新聞「ふるさとだより」で予習!

伊根町 魚と舟屋で観光活性
海面に浮かぶように立ち並ぶ舟屋。1階は船庫、2階は住居の構造に、先人の知恵が凝縮する(伊根町亀島)

背後に山が迫り、海岸線との間はわずか。一階に船庫、二階に居室を備えた舟屋には、狭い土地に生きる人々の知恵が凝縮されている。その数約二百三十軒。波の穏やかな伊根湾沿いにぎっしりと立ち並び、地元の人いわく、まさに「今も昔も変わらぬ風景」。
府内有数の漁獲量を誇る伊根町。漁にはかつて「トモブト」と呼ばれる小さな木造和舟が使われていた。舟は天日にさらすと割れ、海上に置いておくと腐ったため、日陰に上陸できて、出漁の準備も可能な舟屋は漁業者にとって欠かせない空間だった。
伊根は古くから漁業集落として知られ、江戸から明治にかけて一万八千頭以上の鯨を捕獲したという記録も残る。しかし近年では、漁獲資源が減少し、一九八九年に六万八千トンだった総漁獲量は四千百九十トン(二〇〇六年)まで落ち込んでいる。魚価低迷の影響も大きく、伊根町漁協の八木一弘組合長は「伊根産の魚をブランド化し、付加価値を付ける工夫が必要」と打開策を模索する。
一方、基幹産業である農林水産業とともに、観光業にも力を入れる。舟屋群のある「伊根浦」は〇五年、漁村としては全国初となる国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。通年営業の数は三軒と少ないが、舟屋に宿泊できる舟屋民宿の人気は高い。宿泊や食事どころの整備を含め、舟屋目当ての観光客をいかに満足させるかが問われている。
また、丹後コシヒカリや高級魚のアカアマダイ(グジ)、筒川そばなど、地元の特産品をPRし、観光業と連携した産業全体の活性化を図る施策も求められている。

【2007年3月19日掲載】

 

 

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