春間近の丹後の山里で素敵な企画の便り!
案内人の矢野文雄さんは正確な記憶と豊かな表現で定評の里山文化人。『自給自足』さんの挽き立て打ち立て湯がき立ての薫り高い蕎麦も最高、見逃せない企画ですよ。
(上 画面右上から左下へ下る雪原が木子の里部)
さて、その前に、ちょっと予習しておくと矢野さんの案内がもっとおもしろくなるかも知れません!
S15.8に、『郷土と美術』に「木子の夏」と題して木子小学校の井本桃軒先生が寄せられた文章です。
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私の安住して居ます木子は、海抜千五百尺の高地にある木子といふ一区域で、戸数は五十に近く、位置は成相山を起点として、経ヶ岬へ走る大山脈の一部に位し、世屋村内の北端でありまして、一寺院と、一小学校とを有する寒村でありますが、近き将来に府道(日置-網野線)の通過する機運に向ひ目下工事中であります。
此木子の高地は、即ち有名なる太鼓山と同一山脈であります(この山間に七百余年の昔平家の残党が逃れ来て住んだ記録と遺物と地名が残る)斯る高地でありますから,冬は積雪一丈ばかり積もる事は珍しかちず。室内温度は、海辺よりも十度以上の差があります。幸にスキーの利用に依って、郵便その他の交通に支障はありませんが、大風雲の時はスキーマンと雖も一命に関する危険があり、交通杜絶の日も時々あります。府下有数の世屋スキー場は、木子の前面十町ばかりを距る山腹にありて、成相スキー場と連絡し、太鼓山迄も連絡があり、このスキー場へ来た人は木子に宿泊する事に成って居り、独逸人も来て泊りました。木子の夏は比較的涼しく、室気清澄にして、衛生に適し、木子に来てから病気の全快した人もあります。けれども、屋外の暑さは央して油断を許さぬ酷暑であります。田圃に労働する人日置局から二里の郵便の集配は気の毒至極であります。
住民の職業は始んど全部農業で、夏炭焼、養蚕を副業とする人も少々あれども純農ばかりと申すべきであります。田植は成るべく早く行ひます。田植が遅いと、秋冷が早くありますので、実が乗らずに青立に成って仕舞ますから、十分に光線を受けしむるには田植を早くする必要があります。東京の葛飾ほどに早くはないが、四月の天長節には籾種を苗代に播きつけます。六月に入ると直ちに田植にかゝります。浸水の籾種の残りで「甘米」を一斗ばかりも造ります。所謂麦芽糖の原理でありまして、甘味があり、廿米と申して居ます。
黒田甫夕先生が或雑誌で述べられました「たなばやし」「種生やし」であります。口中に入れて暫く含んで居る中に甘味が出て来ます。子供も大人も喜んで間食に用ひます。殊に田畑の重い土を耕す爲に非常の努力を用ひ、日の長い時季でありますから、田圃へ持参して働きつゝ間食すれば時間の経済上、楽だと仕事が捗りますので、何よりも重要なる食料であります。軍隊で御採用に成りましたら、無上の営養と御便利でありませう上思ひます。
農家は全部萱笹葺屋根で、屋根の厚さ一尺ばかり日射の透徹なく、夏は客室と寝室の外は全部板の間とし、鏡の如く拭き立てゝあります爲に、室内の涼しさは風を引くかと思ふ程です。朝早く露を蹴って牛をつれ田圃に出で日没の後に帰るのでありますが、近い田圃ならば午食に帰ります。汗の野良着を籬に干し牛には青草を与へて厩に休養せしめ、この涼室に入りて茄子の浅漬、胡瓜の酢もみに舌鼓を打ち、板の間に団扇を使ふ二時間ばかりは極楽です。午後又炎天下に労働して後、飼料の草を刈り集めて牛に着け夕焼もいつしか消えて合歓の葉の眠り谷風の涼しき夜路を帰り、牛を労はって厩に入れ、行水に労を流し、冷し西瓜を切り、新鮮な野菜の煮染、味噌汁に夕食をすれば、青田から吹き入る風はソヨソヨと蚊帳を揺るゝ中に大の字と成り夢を冷やす。
食物は米を常食とし、魚の顔も知らぬかと思はるゝ山奥なれど、鰮の安い時に笊に数はい買入置き、糠漬、桜干、鹵漬等適宜に貯蔵し、特に木子の渓流には「あめご」(あめ魚)とて鮎に劣らぬ程の珍味があり、却って大川には居ない魚です、田には尺に届く程の鯉が泳ぎ、鰻も川の岩の下に居ます。新鮮な卵も得られます。お手作の豆で、いつでも豆腐を作ります。
私が学校在職中、岩瀧校の先生、府中校の先生が三人木子へ避暑がしたいとの希望でありましたから、木子教念寺の御住職に申込んで快諾を得ました所、二人しか来られませんでしたが、ゆるゆると二週間ばかり本堂で避暑と勉強をいたし、庫裏からの賄を受け満足して帰られましたが、最終日には木子の渓流野間の渓流に添ふて右の魚を漁り、太鼓山に登って盆栽適当の草木を採集して帰られました。木子には祭りにも行事はなく娯楽といふ程の物はありませぬが、昔から盆踊には熱心な所で、大盆にも、地蔵盆にも踊りますが、それも時局中は中絶であります。 先は是にて擱筆と致します。 ※www.geocities.jp/k_saito_site/doc/kigo.html
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『郷土と美術』は沢村秀夫氏の編集。宮津、丹後一円の歴史・美術の発掘に多大な功績を残した雑誌です。